今年もルマン24時間耐久が終わりました。レースは24時間といってもこの戦いは決して24時間ではありません。
今回は参戦に至るまでに本当に長い長い時間がかかりました。
多くの方からの励ましを胸に旅立ったのが5月の終わり。そしてその戦いを終え、いま日本に帰る機上でこのメールを書いています。
今までルマンには連続して3回挑戦してきましたが、今回ほど様々な思いが心の中を駆け抜けたルマンはありませんでした。まだ戦いの余韻を感じつつ書き始めたこのレポート。本当に長くなってしまいましたが、読んで頂けたら嬉しいです。 |
|
ルマン24時間耐久レース。
世界三大レースの一つであり、その長い歴史と栄光に包まれたこのレースが、今年もフランスで1年で最も日が長い夏至の日に近い、6月の第3土曜日に行われた。僕は5月の末に渡欧。ここ数ヶ月交渉を続けてきたスペインの新興チームである、Epsilon Euskadi(エプシロンエウスカディ)との最後の交渉の為だ。このチームが今回ルマン24に参戦出来る可能性は、その地点で90%とも10%とも言われていた。
本当のところはどうなんだ!?
「とにかくチームはマシンを用意している。」
「でもまだどうなるかは解らない。」
「チームが出場出来るかどうか。」
「信治を乗せる事が出来るかどうか・・・。」
刻々とタイムリミットが迫る中、こうしたチームとのやりとりが時差を越えて連日続けられていた。
僕にとっては、今年のルマン参戦の為の最後の頼みの綱がこのエプシロン。迷っている時間はない。可能性が残されているなら行くしかない。とにかく荷物をパッキング、レンタカーを予約し、飛行機を手配。慌しく日本を発ったのは5月28日。6月1日のルマン公式練習のわずか4日前のことだった。
フランスに到着し翌29日には、これまで顔が見えなかったエプシロンのメンバーとの初顔合わせ。すると中には懐かしい顔もちらほら。エンジニアはなんと僕がF1のプロストGP時代に初めて共に仕事をしたイギリス人のハンフリー・コルベット。なんという偶然!プロスト時代、僕が一番気が合っていたエンジニアだ。彼はマラソンが大好きで、フランスのマニクールサーキットに程近いホテルで僕が一人で生活している時、一緒によくジョギングに付き合ってもらっていたっけ。
他のチームメンバー達もとてもいい感じ。これは感覚的なものだが、僕は人の「気」をとてもダイレクトに感じることが出来たりもするので、なんかいい空気感を感じる・・・。
30日にはシート合わせを終え、あとはチームが参戦出来るかどうか、大会主催者からの連絡を待つのみ。タイムリミットは6月1日の公式練習の前日である31日の車検日。この日までに連絡があればルマンに今年も出られる!
チームメンバー全員と、今回の僕のチームメートであるフランス人のジャンマルク・グーノン、スウェーデン人のステファン・ヨハンソンらと共に決定を待った。
そして待ちに待った結論は、残酷な事に参戦はほぼ不可能になったとの通告。時間のない中ここまで頑張ってマシンを組み上げたメカニックたち、そしてこのマシンで戦える事を信じて各国からここルマンにあるサルテサーキットに集まったドライバーの面々。今回のメンバーは僕を含め3人全員が元F1ドライバーであり、チームがいかにこのもう1台の
マシンに期待をかけていたのかが解る。それだけにこの結果を受けて僕達がどれだけ落胆したか・・・。
この時の僕の気持を言葉にするのは、とても難しい。それだけ色々な思い、気持が交錯していた。やはりその大きな理由の一つに、この挑戦は自分だけのものではないと思っているから・・・。
そして僕は決断を迫られた。この決定を受けてすぐに帰国するか、それともここルマンに残るか?帰国してこの状況を支援者の方達に一刻も早くご報告する事も重要な仕事として残っている。他のドライバー達はこの決定を受け、諦めてすでにルマンを後にしていた。でも僕はルマンにそのまま残る事を決意。 |
|
今年のルマンの参戦はこの時点でほぼ不可能になったと僕はこの決定を理解していた。ただ1%でも可能性はあるという事であれば、まだ諦めるには早いと。自分が走れないサーキットに行くのは、正直辛い。まさに蛇の生殺し状態だ。それでも僕はそのままサーキットに残り、6月1日に行われた公式練習走行に立会い、もう1台のマシンの作業の為サーキットに残っているチームの元に毎日通い続けた。公式練習を終えた翌日、そこにいるドライバーはチーム内で僕だけ。何か出来ることもあるはずだと・・・。
走らなくてもチームとのコミュニケーションは図れる訳だし、何よりも彼らと友達になれる。そしてチームに対して、エンジニアサイドでのテクニカルインプットを僕の経験で助ける事も出来るはず。今回のマシンには乗っていないが、僕はその長いレースの世界での経験から、イメージだけでも、ある程度マシンのセットアップが理解出来る。
この数日間エンジニアと色々な話をして、この地点でこのマシンのセットアップ、ここ数戦でチームがどのような事をマシンに試してきたかが、僕の頭の中に叩き込まれていた。これで僕のイメージは既に数戦をこのマシンで戦っているドライバー達と同じぐらいのレベルにまで持ち上げられたはず。結果的にとても意味のある1週間になった。
始めは何となく距離のあったチームのメンバー達とも、3日目にはもう数ヶ月仕事をしているような距離感に。誰にも注目されることなく黙々と作業を続けるメカニックたちと、こうして時間を共にする事で彼らとの距離は一気に近づいた。
マシンで走れないのなら1周13kmのサルテサーキットを自分の足で走ってみればいい。そう思い、ジョギングもした。
マシンの中からは解らない事、小さなバンプや縁石の高さ、昨年と微妙に違う部分をつぶさにチェック。でもマシンで走ると3分半ぐらいのサーキットも走ると以外に長かった。1時間ほどで戻ると言ってピットを離れたが、再びピットに戻ってきたのは2時間後。進んだり、戻ったりコースを確認しながらの1周だったので、思ったより時間がかかってしまった。
1日のテストからほぼ1週間が過ぎ、土曜と日曜だけは少し時間を作って気分転換にルマンから程近いロワール渓谷沿いの美しい風景と空気に触れてきた。フランスの本当の良さは田舎に行かなければ解らないと、僕はそう思う。この牧歌的な風景、どこまでも続く広すぎる空、その地平線から上る太陽、そして沈む夕日。そのどこを切り取ってもそれは一片の芸術。そしてそこからは、日本で忘れていた勇気と力を少しもらえる気が・・・。こうした風景を眺めていると、かつてモネやルノワールのような印象派がこの国で生まれたことが解る気がする。 |
|
そして迎えたレースウィーク。ルマン名物でもあるジャコバン広場での公開車検がこの週に行われる。そして月曜日、訪れた運命の瞬間。サーキットから戻りホテルの駐車場にいると一本の電話が。相手はチーム広報のジョルディさん。
「信治、今どこにいる?」
「ホテルに向かっているけど?」
「Are you ready to jump into the car?」
「・・・もちろん!え、でも今何ていった?!」
「マシンに乗る準備は出来ているかといってるんだ!もう1台のマシンが参戦出来る可能性が出てきたぞ!」
あまりの突然の展開に頭の中でよく状況が理解出来ない。ただ言えることは一つ。明日のジャコバンでの車検後に最終的な結果が出る!今回は可能性がかなり高そうだ!
「OK!とにかく明日サーキットで!」
僕はホテルの駐車場に停めた車の中からしばらく動けなかった。
どのぐらいの時間そこに座っていたのか・・・。
何かとても不思議な気持になった。今まで何度か味わった事があるこの感覚。セレンディピティ・・・・・。
人の思いや信念、いやそんな概念を越えた何かがこの世の中には存在するんだと言う事実。諦めない事の大切さ、信じ続けることの尊さ。
僕の座右の銘は「信じれば叶う」。もうずっとずっと言い続けている言葉。簡単なようで難しい。
信じ続ける事は、決して容易な事ではないと思う。本当にいろんなことが起きる。でもそんな時、自分自身の信念が試されるのかも。
この日車の中から見た暮れ行くルマンの空の色は一生忘れないだろう。
そして予選の前日にジャコバン広場で行われた車検で最終的に1台のマシンが参戦できない事が決定。
この日の夕方、再びジョルディさんから電話が。
「信治!明日から走れるぞ!マシンが繰り上がって参戦が正式に認められたんだ。」
その時はもう驚かなかった。
ただただ、今回僕を応援してくれている沢山の方達の事を思い、そして深く感謝。今回のルマン24への参戦は、僕一人の力では絶対に実現しえなかったのも大切な事実。今回の参戦が決まるまでには本当に沢山の方達のご協力と応援があった。僕が日本を発つ直前まで、そして渡欧してからも、どれだけの方達が僕を励まし、応援してくれた事か。
そして今回チームとの交渉を共に助けてくれたJOさんという大きな存在。思いに熱く、人に温かく、純粋な心を持った方。アメリカ在住の彼が今回このためだけに気持ひとつでフランスまで駆けつけてくれた。
あとは僕がドライバーとして、最高の仕事をするだけ。ここからは、「ドライバー中野信治」に戻り、それだけに集中出来る。これがどれほど幸せな事か。6、7年前の僕にはまだ解っていなかった。でも今の僕は違うと思う。 |
|
水曜日、チームに加入して始めての走行日。今回僕のチームメートに選ばれたのは、いずれも元F1経験者。
一人はフランス人のジャンマルク・グーノン。彼はこのルマンでの経験も長く、何よりも彼の持つそのスピードはヨーロッパでも誰もが認めるドライバー。もう一人は元フェラーリのF1ドライバーでもあるステファン・ヨハンソン。
僕が子供の頃、テレビで見ていたドライバーだ。彼もこのレースでの経験が長く、且つレースというものを知り尽くしている。チームメートとしては最高のドライバーが再びここに集まった。
この初日の走行では、トラブルとマシンのセットアップが思わしくなく、なかなかペースが上げられない。急遽決まった参戦のため全てが時間との戦い。ギリギリの中で組みあがったマシンはなかなかいうことを聞かない。ジャンマルクが走り初めからテストを担当するが、全くマシンがまとまらずこの状態で僕とステファンが乗ってもあまり意味が無いということで、時間節約でセッションの殆どをジャンマルクに委ねた。僕とステファンは結局夜の走行の規定周回をするにとどまり、この日は1周しただけで終了。僕達3人はこのマシンを見るのも走らせるのも今回が全くの初めて。
チームにとっても初めてのルマン24。始めからスムーズにいくとは思っていなかったが、1周しか出来ないとは・・・。
シートの感覚も、初めてのクローズドボディのルマンカーの感触も掴めないまま、2日目の走行・予選を迎えることに。
この日は僕がセットアップを任され、セッションの初めら僕のドライブで走行を開始。初日のテスト後に見つかったマシンのセットアップの問題を、夜中まで行ったミーティングである程度探り出し、大きくセットアップを変更しての走行。
僕にとっては、昨年の11月初め以来のレーシングカー、初めてのマシン、一年ぶりのルマン・サルテサーキット。
まず3ラップ、セットの確認とシートや操作系をチェックしながらの走行。ここで大きな問題が発生。パワーステアリングが効かない。何らかのトラブルが発生しているが、時間が無い為僕はそのままもう1周だけすることに。このハンドルの重いこと!普段トレーニングで鍛えているけれど、この重さは半端じゃない!何とか1周気合で走って、この地点でのチームの最速のタイムをマーク。毎晩遅くまで作業を続けてくれていたチームの皆からも歓声があがる。今シーズンずっとこのマシンでレースを続けていて、6月1日にも走行を行っているもう1台のマシンのタイムも、初めてこのマシンを走らせる僕が、この地点で塗り替えてしまったからチームは大驚き。一番驚いたのは僕だったかもしれないけれど。
予選はジャンマルクがやりたいと言う事で彼が担当し、最終的に上手くクリアラップをとれなかったものの、15番手で予選を終える事が出来た。初めてのチームとここまでの状況を考えれば、上出来の順位。ここにくるまでは、時間のない中チームにとっても本当に準備などでタフな時間だった。ここまで頑張ってくれたチームのメンバー全員に心から拍手を送りたい。睡眠も殆ど取らず本当によくやってくれた!
予選を終えた翌日には、ルマン24恒例のジャコバン広場からクラッシックカーに乗ってドライバーがルマンの市内のパレード。このパレードには、毎年老若男女を問わず本当に多くの方達が集まる。その数およそ数万人。沿道には人・人・人。家族連れ、カップル、若者に子供達、おじいちゃん、おばあちゃん・・・。そしてみんな笑顔。
モータースポーツが文化になるということの意味が、この光景を見ると解る。日本にもいつかこんな日が来て欲しい・・・。
ヨーロッパ・アメリカで戦い続け、ずっとこういった光景を見てきたからこそ、僕は心からそう思う。 |
|
そして迎えた土曜日、夏至の日の夕方午後3時。ルマン24時間耐久レースのスタートだ。盛大なセレモニーを経て、いよいよ壮絶な24時間がここから始まる。スタートは予選を走ったジャンマルクが担当。12番手辺りを走行しているが、ペースは思ったほど上がらないようだ。マシンの状態がそれほど素晴らしいとはいえないのが、ラップタイムからも伝わってくる。ただこのレースは長い。本当に長い。この後24時間と言う時間がこんなに長いんだと言う事を、嫌と言うほど思い知らされることに。
2番手目に乗るドライバーはステファン。彼のラップタイムも思ったほど上がらない。それでも淡々とベテランらしい安定した走りで、コンスタントなラップを刻み続ける。順位は13、4番手あたりだろうか。2スティントを終えたステファンがピットへ。いよいよ僕の走行がスタートする。僕にとっては4回目のルマン24。一度は諦めかけた今年のルマン24、そして最後の最後の大逆転で掴んだこのシート。様々な思いが頭をよぎる。
とにかく最高の走りで、楽しんで!
順調に走行を重ね、ついに3人の中でベストラップを記録!調子が徐々に上向き、ここからというその時。ちょうど1スティントを終える直前に突然エンジンがミスファイアを起す。エンジンは今にも止まりそう。まだ僕がいるのはピットまで1キロぐらいの所、ここでマシンが止まったらそこでレースは終わりだ。だが無常にもエンジンはここで息の根を止めた・・・。やむなくマシンを外側に寄せようと外側の縁石をまたいだその瞬間、再びエンジンが始動!
(奇跡だ・・・。)
なんとかピットまで辿りつき、パドルシフトのトラブルによる電気系のトラブルだったことが判明。すぐさま修復し再びコースへ。順調にラップを重ねるかに見えた3周目、今度は突然ギヤボックスに異変が・・・。6速ギヤが壊れた!
ピットまで戻れれば何とか修復が可能だが、ギヤが壊れた場所はルマン名物ユーノディエール。ここからピットまではまだ9キロ近くあるはず。ジョギングの時に見ていた看板の当たりだ。他のギヤを壊さないよう、細心の注意を払ってまだ使えるギヤを慎重に選び、ゆっくりとマシンにストレスをかけずにピットを目指す。
(何とか持って欲しい・・・。)
他のギヤが壊れたらそこで万事休す。駆動力を失ったマシンは、その場からもう1ミリたりとも動かなくなる。
祈りが天に通じたのか、ぎりぎりピットまで辿り着く。ここからはメカニック達の戦争、壊れたギヤボックスを修復する為に一気にピットが慌しくなる。ピット内に怒号がとびかう。普段は1日がかりでやる仕事を数時間でやらなければならない。結局修復に3時間ほどの時間を要する事に。でも本当によく直してくれた。
再び僕がマシンを操りピットを後にする時には、長い長い日も沈み、すっかり辺りは暗闇に包まれていた。この時、僕のマシンをピットから送り出した直後、ピット内では歓声が上がったそうだ。メカ達がガッツポーズ!彼らは本当によくやってくれている。僕にとっては4回目のルマンにして初めて夜間の本格的な走行。こんな事言って良いのか解らないけれど、初めて夜を迎えられた!少し嬉しい。夜の2スティントを走りきり、ドライバーを再びジャンマルクに交代。
彼も予定の2ステイントを走りきるところだったが、最後に雨粒が落ち始めた。このルマンの夜は本当に何も見えない。突然の雨は恐怖以外の何者でもない。雨が落ち始めても、路面の状況がステアリングからしか伝わってこないのだ。とにかく彼はマシンを無事にピットまで戻し、ウエットタイヤに履き替えてもう1スティント走る事に。
この夜の走行でも僕が出したラップタイムが他の二人を上回り、昼・夜あわせてベストラップを記録し、2冠。チームメートで争っているわけではないが、リスクを犯さずに可能な限り速く走る事には、やはり大きな意味がある。
僕は走行を終えてシャワーを浴び、休憩を取るためにチームが用意したモーターホームにいると、そこに雨の中の走行を終えたジャンマークが帰ってきて一言。
「あまり楽しめる状況じゃないな・・・。」
その言葉から、雨の中でのマシンの状態が想像できる。
今走行をしているのはステファン、彼が2スティントを終えると再び僕のドライブだ。外はもう明るくなり始めている。すでにルマンは後半戦に突入。次の僕の走行は8時ごろだろうか。チームスタッフが僕を呼びにくるまでもう少し休憩することに。
「信治!30分前だ。」
「OK!」
顔を洗って外を見るが、まだ雨は続いている。ピットまで少し心拍数を上げるために走っていき、少しストレッチ。
硬くなった体をほぐして走行に備える。今年はいよいよ朝を迎えることが出来た。これも少し嬉しい。過去3度の挑戦では、いずれも夜すら迎えられずトラブルに泣いている。まだ本当に喜べる状況ではないが、過去の3年を思うとこんな感情が生まれてしまうのかも。それだけルマンは厳しく、難しい。
しかしこの状況での走行はなかなかトリッキーな気がする。2スティントを終えて、マシンを降りたステファンの顔が上気し、顔に怒りが見て取れる。雨の中のマシンがひど過ぎる!僕はそんな彼の顔を出来るだけみないようにして、マシンに乗り込む。次にドライブするのは自分だから。とにかく今出来るのは集中して、このマシンを出来るだけ速く、確実に走らせる事だけ。
走行を開始したマシンのフィーリングは確かに難しいものだった。ただそんな中、この雨の状況の中でも、3人の中で圧倒的に速いタイムをたたき出しながらの走行。これで3冠。1スティントを終え、2スティント目に入っても雨は降り止まず、難しいコンディションの中での走行が続くが、何とか暴れるマシンをコントロールして周回を重ねる。だがあと残り3周でドライバー交代というところで、再びギヤボックスから異音が聞こえる。そのままピットに戻り、チームに状況を説明。それを聞いたメカがギヤボックスをチェックした所、やはりギヤボックスが壊れてしまっていた。
一度ならず二度までも同じトラブルとは・・・。
結局これ以上修復の為のパーツが無い為、朝10時過ぎにリタイヤする事が決定。僕の今年のルマン24が終わった。
その1時間後、同じトラブルでチームのもう1台のマシンもリタイヤ。ギヤボックスに何か根本的な問題があるのは間違いなさそうだ。 |
|
リタイヤは悔しい。それはいつどんな時でも変わらない。
でも今年のルマン24は悔しさの中に、大きな充実感が残った。
完走も出来なかったし、勝つことも出来なかったけれど・・・。必ずこの流れはそこに繋がるものだと確信出来た。
一度は諦めかけた今年のルマン24時間レースに、最後の最後で大逆転があり参戦が実現した事。1%の可能性とは、無限の可能性にも匹敵するのだという事を改めて感じ、そして学んだ。
レース中にも何度か不思議な力で助けられた。なんだか解らないけど、今年のルマンにはいつもと違う何かがあった。一人で戦っているのではないと言う事を、深く、深く感じ、考えさせられたレースでもあった。日本から応援してくれていた友人、仲間達、いつもお世話になっている方々、ファンの方達、そして僕が知らない所で僕を後押ししてくれていた全ての力に心から感謝の気持を。
僕の目標はあくまで変わりません。
まだ超えなければいけないハードルはありますが、必ず出来ると信じてこれからも戦い続けます。
今後とも変わらず、叱咤激励のほど宜しくお願い致します! |
|
2008年6月
中野信治 |