2013 ルマン24時間耐久レース

決勝

僕にとって7回目となるルマン24への挑戦が終わった。

結果はチームメートのアクシデントによりマシンが大破。
その場で走行を続けることが不可能となりピットまでマシンを戻すことが出来ず、スタートから8時間ほどを過ぎたところでのリタイヤ・・・。

昨年に引き続き今年も決勝スタートは僕が担当する事に。

マシンに乗り込んだ僕のヘルメットのバイザーに雨粒が落ちてきた。
スタート直前に降り出した雨が少しコースを濡らし始めている。
どのチームもタイヤ選択に頭を悩ませているようだ。
僕もスタートの寸前まで無線でエンジニアとの会話を続けている。

決勝レポート

これは間違いなく難しいコースコンディション下でのスタートになりそうだ。
ちょっと嫌な気分・・・。
だが、レースにおけるこうした難しいパートは全て僕が受け持つ覚悟は出来ている。

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2013年6月22日午後3時。
夏至に最も近い週末に行われる今年90周年の歴史を迎えるルマン24がスタートする。

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例年通りサーキットに荘厳な交響曲「ツァラトゥストラはかく語りき」が流れ、
一斉に55台のマシンがメインストレートを駆け抜ける。
マシンをドライブしている僕には当然この光景を見ることは出来ない。
だがそれが非常に興奮に満ち溢れたものであることは想像に難くない。

スタートは無難にこなし順調に走行を開始。

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雨が降り始めの滑りやすい路面の中、順調に周回を重ねていたが、
4番手まで順位を上げたところで後方を走行中の1台のマシンがクラッシュ。
スタート時から降り出していた雨に足をすくわれたのだろうか。

雨の中スリックタイヤでのスタートとなったため、どのマシン、ドライバーにとっても路面状況を読むのが非常に難しい状況だった。
アクシデントは思いのほか大きいのかセーフティーカーが導入されることに。
そしてそのままかなりの時間に渡ってセーフティーカーの誘導による周回が続いた。

そして、僕は自らのスティントの終了後、アラン・シモンセン選手がこのアクシデントで帰らぬ人となったことをチームから知らされた・・・。

この時点ではレース用のマシンセットも僕の狙い通りのところに来ており完璧な状態だった。

ところが、ちょうどこのセーフティーカー導入のタイミングでマシンにギヤトラブルが発生。
ギヤが3速にスタックしてしまいそこからどこにも動かすことが出来ない。
何でこのタイミングなんだ・・・。

直ぐに修復が必要な為、ピットに戻りその原因を見つけるべく30分程の時間を費やすことに・・・。
それでもメカニック達の懸命の作業により、トラブルの起きている箇所に応急処置を施し、レースに復帰することが出来た。

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いきなりのマシントラブルだが、残りはまだ20時間以上ある。
この時僕は作業が行われているマシンの中で、レース直後に起きてしまったトラブルに対する憤りと同時に、気持ちが落ち込んでしまうのを抑えるべく必死に自分の意識を集中させていた。

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ここで集中力を切らしてはいけないのだ。

ここからの逆転を誓い、そこからは雨が降ったり止んだりを繰り返す難しいコンディションの中、僕はトップを走行するマシンと同じスピードで走行を続けながら次々と順位を取り戻していった。

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こうして3ステイントをミス無く走り続け、ドライバーチェンジのタイミングを迎える。
コンディションが非常に難しい状況だったため、チームは急遽2番手のドライバーへのチェンジのタイミングを遅らせ、僕が長く走ることで順位を上げつつ難局を乗り切ることにしていたのだ。

途中トラブルもあったため合計するとスタートから3時間半もの間マシンに乗り続けていたことになる。いきなり長いな・・。

ここでチームメートへとドライバーチェンジ。

2番手のドライバーは今回初めてルマン24にチャレンジするイギリス人のアーチー・ハミルトン。彼の祖父は60年前のルマン24で優勝している方らしい。凄い歴史だ。
いかにもイギリスの若者といった風情の陽気な彼だが、流石にバイザー越しの目にはかなりの緊張が伺える。しっかりやれよ!

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これまで雨などで練習走行時間が短かったこともあり彼のドライビングが気になっていたが、思った以上に確実にラップを重ねている。
人は見かけで判断してはいけないとはよく言ったものだ。(苦笑)

24時間において重要なのはラップタイムだけではなく、ミスを犯さずステディにラップを重ねることなのだ。
彼とは今回のルマンで初めて会ったのだが、時間をかけてその重要性を十二分に言い含めてある。

今年のルマンは特にレースウィークに入ってから天候がずっと安定していない。
フランスの天気が変わりやすいのはいつもの事なのだが、今年は例年以上に落ち着かない感じがする。

ルマンは13キロ以上とコースの全長が非常に長いため、コースの半分がウエットで残りの半分がドライ路面なんていうことも当たり前に起こりえるのだ。
スタート前のタイヤ選択にあれだけ頭を悩ませていた理由もそこにある。
スタートを待つメインストレートではまだ小雨だったのだが、コースの反対側では豪雨になっていることも有り得るからだ。
実際テスト時からこの安定しないルマンの天候に翻弄され、多くのマシンがクラッシュしてマシンを壊していた。

若いアーチーは途中ギヤトラブルに見舞われたようだが、大きなミスも無く3スティントを終えられたようだ。
彼に起きていたマシンの問題はどうやら僕のドライビング中に起きていたものと同じトラブルのようだった。

ただ今度は応急処置ではなく破損部分を完全に新しいものに交換して3人目のドライバーであるトー・グレーブスに襷を渡すことになったとの事。

この頃僕は走行を終えてトレーナーからマッサージとストレッチを受け、軽く食事を取った後はシャワーを浴びて少し横になっていた。
少しパドックから離れたドライバー用のシャレーの中は静かで別世界だ・・・。

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静けさの中、高回転で走行を続けるルマンならではの走行後に残る大きな耳鳴りと、なかなか収まらないアドレナリンにより不思議な感覚だけが残っている。

目は閉じていても、思考を止めることが出来ず眠ることは出来ない。

次のドライバー交代まで約2時間くらいか。
1時間くらい前には準備を始めるので、あと1時間は無理やりにでも体を休めなければならない。まだ先は長いのだ。

普段の生活では24時間という時間をここまで意識することはない。
時間の感じ方とは人それぞれが置かれている環境や状況によりこれほどまでに変化するものなのかと今更ながら深く考えさせられる。

チームから指示を受けたトレーナーが僕を呼びにきた。
「Shinji ! Are you ready to go ?」

ピットに戻るとトーが2スティントを順調に終え、3スティント目の走行に入っている。
彼のラップタイムが予想より良いのが少し気になる。
決勝のペースとしては少々プッシュし過ぎているのではないだろうか・・。

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マシンは僕の狙い通りのセットが出来ていて、レースでは優勝を争えるくらいに乗りやすいものになっているはずだ。
彼の走行中はちょうど日が暮れる前の気温が下がり始めるハッピーアワーと言われる時間帯だ。空気が冷えてエンジンが軽くなり、路面温度が下がるとともににタイヤの性能が上がるためクリップ力が増すのだ。
タイムが最も出やすい環境が整ってくるのがこの時間帯でもある。
彼が気持ちよく走れているのがピット内のライブタイミングから見て取れる。

だがこれは耐久レース、いかにして速く走りたい気持ちをセーブ出来るかが重要なのである。マシンを労わり、マシンと対話しながら走らなければならない。
決勝においては1周のスピードはそれほど重要ではないと言っても過言ではないだろう。

そしてついにそのときが来てしまう。

午後11時を過ぎサーキットに夜の帳が下りた頃、トーがマシンのコントロールを失いタイヤバリアに激しく衝突・・・。

この時僕はすでにチームから指示を受け、ヘルメットを被りドライバーチェンジの準備が整っていた。あと2周で彼とドライバー交代の予定だったのだ・・・。

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無線からトーの叫び声が聞こえる。

「やってしまった!」

無線から聞こえる彼の声は少しパニック状態になっている。
クラッシュが結構な衝撃だったのだろう。
クラッシュした現場の辺りは真っ暗なので、現在の状況が自分でも把握出来ていないのかもしれない。

アクシデントが起きた場所はこのサーキットで最も難しいコーナーの一つでもあるポルシェSの入り口。
決勝の最後の最後にトヨタのマシンがクラッシュしてしまうことになる、あのコーナーだ。

まずは彼が無事だったのが不幸中の幸いであり、我々ピットにいるメンバーは胸を撫で下ろした。

何とかピットまで自走でマシンを戻して修復を試みようと、ピットはトーと無線でのやり取りを続けている。
事故現場の状況の掌握、そしてピットまで戻るために破損したマシンに応急処置を施せるか否かを確認するため1時間以上の時間を費やすこととなってしまった。

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そして最終的にメカニックが現場に向かい目視した結果、マシンは動かせる状況にないことが確認された為、この時点でリタイヤが決定してしまうことに・・・。

とにかくこの結果には悔しさを通り越して、何も言葉が見つからない。
普段は大きなミスを起こさないことで定評のあるチームメートだったが、この日は朝のレース前のウォームアップでも彼はマシンをクラッシュさせてしまっていた。

朝のウォームアップではマシンのセットアップチェックのため僕がスタートからの走行を担当。走行開始1ラップ目にはLMP2クラスのトップタイムを記録、僕は1周だけタイムを計測し、残りはチームメートが走行を続けたため、最終的に3番手で朝の走行を終えていた。
マシンの状態は狙い通りに改善されている。

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予選のセッション後エンジニアと長い時間をかけてミーティングを続けた結果がいい方向に来ているのだろう。
いや、レースウィークを通しずっと長い時間をかけてエンジニアと共にマシンを作り上げてきたのだ。

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今回のマシンのセットアップは全て僕が担当している。
ルマンのマシンセットは24時間異なる条件下での戦いを強いられるため少々難しいのだが、こうした複雑なパズルを組み立てるのは僕の得意分野なのだ。

僕は朝の走行で1周しかタイム計測をしていなかったが、2ラップ目の最終セクターに入るまでの区間タイムでは他のドライバー達を圧倒していた。
このラップをコンプリート出来ていれば、間違いなくトップタイムで朝の公式走行を終えられていたはずだ。僕はこの時点でのマシンの仕上がりに十分な手応えをに感じていた。

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これなら間違いなくトップを争える!

予選でこのマシンバランスを見つけられていれば・・・とちょっと思ってしまう。
もしかしたらポールポジションを争う事が出来たかもしれない。
だがレースには「たら、れば」はないのだ。

そんな矢先に起きた朝の公式走行でのチームメートのクラッシュだった・・・。

色々な要因で何が起こるかは分からないのがこのスポーツの難しさであるのは十分に理解しているつもりなのだが、この戦いのために全ての時間と心をフォーカスさせ、そして人生そのものを賭けている僕の頭の中は今も真っ白だ。
ただここで一つだけ言っておきたい。
人間は誰しもミスを犯すことがあるものだ。僕だって同じだ。
僕は元来、他人の失敗を責めるのが好きではない。
完璧な人間などどこにもいない事を知っている。
今まで僕が見てきたどんな偉大なドライバー達でも人知れずミスは犯しているのだ。
何より一番苦しい思いをしているのはチームメートのトー・グレーブス本人だろう。

チームとの正式な契約が決まったのが5月の終わり、慌しく6月頭に渡欧しチームと合流、そこから本当に短い時間の中で決勝レーススタートまでには完璧なマシンのセットアップを作り上げることが出来ていた。
チームのメカニックやエンジニア達とも、もう1年以上を共に過ごしていると錯覚するほどにいい関係を作れていたつもりだ。

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今回のルマン24という戦いの中で自らの走りとスピードでそれを証明する事が出来たとは思っている。
チームの誰もがそれら全てを認め、評価してくれているのは事実だが、僕が欲しいのは結果だった・・・。

そしてそれを手に入れるために僕に与えられていたタスクは、僕が速く走ることだけではなくチームメートもドライブしやすいマシンを作り上げることであった。
それを確実に形にすることが出来、いよいよここからが勝負と思っていた矢先のトラブルとアクシデントだった。

これが3人のドライバーで戦う耐久レースの難しさでもあるが、今回クラッシュを喫してしまったトーは冷静かつステディなドライビングで評判の高いドライバーだ。
耐久レースにおいて重要な部分を十分に兼ね備えていると判断したからこそ、チームも彼をドライバーとして選んでいたのだろう。
その彼が今回のようなドライビングミスを犯すことになるとは誰も予想し得なかったことだった。

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今回は2005年から僕がルマン24に参戦し始めて以来、最も結果を残せる可能性が高い体制を築いてきたという自負もあり、僕自身いつになく大きな手ごたえを感じていた。
それが戦わずして敗れるとは・・・。

応援して下さる皆さんにももっといい報告をしたかった。
本当に、本当に悔しい・・・。

僕も42歳といい感じ(苦笑)の年齢になりつつある。
自分が納得出来る状態でマシンに乗れるのもそれ程長くはないと思っている。
もう一般的には押しも押されぬ中年であり、若者達にとってはおじさんの年齢だろう。

ただ僕は信念を持ってこの世界での戦いに挑んでいる。
自らに速さがなくなったと感じれば、このような形で戦いを続けるつもりなど毛頭ない。

ここ数年は年に1回か2回のレーシングカーのドライブしか出来ていないが、それでも今回22台もの台数を集め最も競争が熾烈だったLMP2クラスにおいて、練習走行から常にトップ5に入るところで走ることが出来ている。

昨年のルマン24では、初めてのルマン参戦だった新参チームにも関わらず、レース中のベストラップは3番手を記録できた。
昨年のWEC富士での優勝もそうだ。

こうした結果が僕のルマン参戦へのモチベーションでもあり、他チームからのオファーを貰うための重要な材料になっているのかもしれない。

先にも書かせて頂いたとおり現在のルマン24でシートを獲得することは決して容易ではない。その競争は想像を遥かに上回るものだ。
現役のF1テストドライバーから元F1ドライバー、現役のINDYドライバーに、活きがいいドライバー達がこのLMP2クラスのシートを獲得するべく大挙してルマンに押し寄せてきているのである。

決勝レポート

ヨーロッパにおけるルマン人気はとどまるところを知らない様相を見せてきていることを僕は近年肌身に感じている。
僕が参戦を決めるまでの最後の数週間を1日20時間近くその交渉のために使っていた理由がお分かり頂けるだろうか。

そんな激しい競争の中、自分が望んでいた戦闘力のあるチームのシートを獲得出来たことは本当に幸せなことだ。心からそう思える。
そしてこれは僕だけの力ではない、多くの僕の仲間達の応援によって実現できていることなのだ。
改めてそんな僕を支え、共に戦って下さっている仲間達に心からの感謝の気持ちをお伝えさせて頂きたい。

僕にとっては今回のルマン24が2013年初めてレーシングカーを走らせるタイミングであり、例年通りまさにぶっつけ本番でのルマン24への挑戦となっている。
このクラスに参戦しているドライバー達の名前をご覧になっていただきたい。
驚くほど強豪の凄いドライバーが揃っているのが分かるだろう。
正直そんな年に一度と言っても過言ではないレーシングカーのドライブにも関わらず、僕が強豪相手にこれだけ走れていることに自分自身が驚いている・・・。
本当にここ数年、自分のドライビングが鈍るどころか進化しているように思えるのだ。

このルマン24というレースは僕がこのレースに出会った2005年以来、ずっと今の自分が本当に心から戦いたいと思える唯一のレースだ。
そこには本当に数多くの学びがあり、それは僕の人生観を変えてしまうほどの貴重な経験にもなっている。
僕はこの舞台で、過去に戦ってきたF1、そしてINDYでも経験出来なかった大切なことを手にすることが出来ていると感じている。

もちろんそれだけではない、ここで結果を残したい一心で僕はギリギリまで自分を追い込みながらこの挑戦を続けている。
年にたった一度の挑戦ではあるが、今でも戦いに対するこだわりと気持ちは誰にも負けないつもりだ。

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このような戦い方をする場合、一年を通して自身のモチベーションを保ち続けることは容易ではない。
トレーニングからチームとの契約交渉に至るまで半年以上をかけて準備を続けている。
同時に、これから5年、10年先を見据えて今を動かなければならない。

それだけに一年中マシンをドライブ出来るドライバー達とはこの1戦に賭ける気持ちの大きさも多少違うだろう。

その昔僕自身がずっとそうであったように、一年中マシンを走らせる事だけに集中出来る幸せな時間があると、その裏側にある大切な事柄を学ぶことは出来ないだろうとも思っている。

もちろんドライバーとしてはもっとレースに出たい気持ちがあるし、それが出来れば今更ながら更に走りに磨きがかかるかもしれない。
幸せなことに、僕は未だマシンをドライブする喜びに勝るものはないと感じることが出来ているからだ。

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でもそれ以上に僕はこの戦い、今の戦い方を通して信じられないくらい多く の尊い出会いと経験をさせてもらっているという事実がそこにある。
それは他の何物にも代えがたい経験だ。

この僕の戦い方が正しいかどうかは分からない。
正確にはこの選択が正しいかどうかなんて関係ない。
今の僕自身が選択している全ての事柄の意味は10年後、20年後に必ず分かるはずだ。
今、その瞬間の思考と行動が未来の自分を作り上げるのだと思っている。
今の僕自身とその周りで起きている全ての事柄は、そうした自分自身の過去の積み重ねが作り上げてきたものなのかもしれない。

だからこそ、今その瞬間をどう生きるかが重要なのだ。

ここ数年は与えられたギリギリの時間の中で最大限の結果を引き出すことが僕のタスクだと覚悟を決めている。
覚悟を決めると案外人間は強くなれるものなのだ。
もう少しで必ず証明する事が出来ると信じている・・・。

リタイヤが決定した後、僕のチームメート達は足早にサーキットを離れていったが、僕はそのままサーキットに残り戦況を最後まで見守ることに決めた。

自分の走っていないレースを見ることほど苦しい時間はない。
僕は仕事以外でいまだかつて自分の出場していないレースを観戦に行ったことがない。
何故かステアリングを握っていない自分自身がサーキットにいることが許せない。
それは年に数回しかレースに参戦しなくなった今も変わらない。

僕がそこに何のこだわりも持たなくなった時、その時は僕がステアリングを握ることから離れる決心をした時だと思う。

決勝レポート

6月23日午後3時。

盛大な観客の歓声と拍手に迎えられルマン24はフィナーレを迎えた。
今回同じチームで戦っていたもう一台のマシンが3位表彰台を獲得した。
僕もチームメンバーと共に彼らの戦いを祝福する。

決勝レポート

そして表彰式のセレモニーが始まった。
今年は例年より静かな表彰式だ。
決勝レース中に事故で他界したデンマークのアラン・シモンセン選手のために表彰台にはデンマークの半旗が掲げられている。

僕は表彰式だけは見ることが出来なかった。

チームメンバーがみな表彰台に向かい誰もいなくなったピットガレージで、ちょっと涙が出そうになった。

決勝レポート

色々な想いが一気にこみ上げてきたのだ。

でもまだ涙を見せることは出来ない。

そう決めているのだ。

いま僕が見ることが出来なかったあの台に上るまでは・・・。

決勝レポート

この場を借りまして、今回この世界への挑戦を共に戦い応援して下さった全ての皆さんに心から御礼を申し上げます。

そして最後になりましたが、レース中の事故にて他界されたアラン・シモンセン選手のご冥福を心からお祈り申し上げます。

中野信治

<総合>
Po. No. Cl. Team Car Driver Laps
1 2 LM P1 Audi Sport Team Joest Audi R18 e-tron quattro KRISTENSEN/DUVAL/McNISH 348
2 8 LM P1 Toyota Racing Toyota TS030 - Hybrid DAVIDSON/BUEMI/SARRAZIN 347
3 3 LM P1 Audi Sport Team Joest Audi R18 e-tron quattro GENÉ/DI GRASSI/JARVIS 347
- 25 LM P2 Delta-ADR Oreca 03 - Nissan GRAVES/NAKANO/HAMILTON 101
<LM P2>
Po. No. Team Car Driver Laps
1 35 OAK Racing Morgan - Nissan BAGUETTE/GONZALEZ/PLOWMAN 329
2 24 OAK Racing Morgan - Nissan PLA/HEINEMEIER HANSSON/BRUNDLE 328
3 26 G-Drive Racing Oreca 03 - Nissan RUSINOV/MARTIN/CONWAY 327
- 25 Delta-ADR Oreca 03 - Nissan GRAVES/NAKANO/HAMILTON 101

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