ルマン24時間耐久レース2016

2016 ルマン24時間耐久レースを終えて(4)

4.
August
2016

少しするとトレーナーのセーラが持っている無線からニキの叫び声が飛び込んできた。
「グラベル(砂利)にはまってしまった!」
どうやらどこかのコーナーで飛び出してしまい、マシンがグラベルから出られなくなっているらしい…。
しばらくしてマーシャルの助けを借りてグラベルから抜け出し、どうにかコースに復帰、そしてピットへと戻ってきたとの情報が入ってきた。
コースオフをした際の細かい石などで一杯になってしまっているマシンをメカたちが清掃して、再びニキが走行を続けることに。
少ししてまた無線からニキの声が響いてくる。
「スロットルがコーナーで完全に戻ってくれない。」
その声には人間が焦って冷静さを失ったときに出す、特有な響きがあるように聞こえる。
ニキが再びピットに戻りエンジニアとメカ達が一斉にマシンを取り囲みデータを調べている。しかし、どうしてもこれといった異常は見つからない様子。
チームはここでドライバーをジェームズに交代することにしたようだ。
ニキは自らのスティントの半分も消化することなく、再びドライバーを交代することになる。
ピットにいるニキの顔には恐怖に似た表情が見て取れる。
恐らくはナイトセッションでの走行に体が興奮状態で力が入り過ぎていて、無意識のうちにアクセルとブレーキを同時に踏んでしまっているのではないかと僕は推測している。
そんなバカげたことが、と思われそうなのだが、ルマンの夜の走行はニキのようなジェントルマンドライバーにとっては決して簡単なものではない。夜の走行で恐怖と焦りのあまりミスを繰り返し、その後走れなくなっているドライバーは意外に多いのだ。
これは僕のこれまでのルマンでの経験上、初めて聞く話ではない。
それほどルマンの夜は他に例をみない過酷なものなのだ。

ここから走行を開始したジェームズは問題なく1回目のスティントを終える。
だが2スティント目に入ったところで、ニキとは違う原因でスロットルにトラブルが発生したとの情報が入る。急遽ピットに戻りその修復作業に入る。
このトラブルもあってか、ジェームズも夜の走行を続けるモチベーションを失っているように見える。
そしてここで予定外に再び、急遽僕がステアリングを握ることになる!
朝の5時くらいだろうか。
慌てて準備を整え走行を開始するがマシンの方は大きな問題もなく、他の二人の分をカバーするべく、ここから僕は長丁場の4スティント続けてマシンを託されることになる。

2016 ルマン24時間耐久レースを終えて

まだ夜が明けきらない暗い時間帯から、夜が少しずつ明けてくる時間帯のサルトサーキットは格別に美しい。
走行中にそんな感傷に浸っている余裕はないのだが、長かった夜が終わり朝を迎えるこのタイミングの安心感とも安堵感ともとれる感覚は特別なものだ。

2016 ルマン24時間耐久レースを終えて

長い人生の中でも朝を迎えることがこれほど待ち遠しく、朝日がこれほどまでに神々しいものに見える瞬間はそれほど多くはないだろう。
少し大げさかもしれないが、まだ人類がそれほど明かりに恵まれていなかった時代に、人々が朝日を待ち遠しく思っていた時の心境はこんな感じだったのではないかと思いを馳せてしまう。
この感覚は、F1のモナコGPでもINDY500でも味わうことのできない感覚だった。
僕はこの4スティントの3時間をノーミスで走り切り、またこのレース中のチームのべストラップをこの4スティント目の最終ラップに刻むことになる。
ここで本来ならばニキにドライバー交代の予定だったのだが、ニキが自信を喪失してしまっていてドライブが難しいとのチームの判断から走行を見合わせることになり、ジェームズが再びステアリングを握ることになる。
一人のドライバーが何らかの理由で走行が出来なくなると、その分他のドライバーの休息時間が削られることになり当然ながら他のドライバーへの負担は大きくなる。
ジェームズは短いインターバルの中での走行だったのだが、安定したラップを刻み無事に3スティントを走り切る。

ここで再び僕の出番だ。

2016 ルマン24時間耐久レースを終えて

休息時間はかなり削られてしまっているが、ここまできたらやるしかない。
この時点でゴールまでは4時間を切っている。
とにかく後は僕に託された最後の3スティントを確実に走り切るだけだ。
マシンの方には大きな問題もなく2スティントを終了。
3スティント目に入り最後は少し右足の感覚が麻痺してくるが、走行に支障が出るほどではない。

2016 ルマン24時間耐久レースを終えて

無事に3スティントを終えて、ここでドライバーをニキに交代。
ニキはここまで殆ど走行をしてこなかったので、この最後の3スティントを走ることでルール上のドライバー1人あたりのミニマムの走行時間をクリアしなければならない。
それが出来なければチェッカーを受けても、チームは完走とは認められないのだ。
ニキも明るくなったサーキットでようやく自信を取り戻したようで、順調に周回を重ねている。
あとは彼がミスなく最後まで走り切ってくれるのを祈るだけだ。
ニキが走行することが出来なかった分は、何とかここまで僕とジェームズでカバーしてきた。
結果的に僕のレース中の走行時間は、我々チームの総走行時間の約半分に近いものだった!
今年初老を迎えた僕がこれだけ多くの周回を重ねることになるとは驚きだが、それでも体力的には全く問題がなかったということに自分自身が驚いている。
日々のトレーニングと数十年続けている徹底した食事のコントロールの意味が、こうした究極の場面で役に立ってくれているのかもしれない。
ニキは3スティント目に入っている。ここまで来れば大丈夫だろう。彼は自信さえ取り戻せば、安定感のあるいいドライバーだ。

そして長い長い24時間も残り5分を切ったところで…ドラマが起きた。
それまで順調にトップを快走し、ほぼ優勝を手中におさめていたトヨタのマシンが、残り3分を切ったところで突如止まってしまったのだ。
この瞬間を僕はピット内のモニターで見ていたが、あまりのことに言葉を失った。
素晴らしい走りを続けてきていただけに本当に残念な結果だ。
このときマシンをドライブしていたのは、鈴鹿カートスクール時代の僕の生徒でもあった中嶋一貴だ。 彼がトップでチェッカーを受ける瞬間を心待ちに画面を見つめていた僕までもが、思わず泣きそうになってしまった。
それでもこれがルマン24なのだ。

2016 ルマン24時間耐久レースを終えて

23時間59分レースをリードしていても、ゴールでチェッカーフラッグを受けなければ完走扱いにもならない過酷なルマン24のルール。
一貴とはレース後にメールでやり取りしたのだが、切り替えの早い彼らしくもう気持ちは次のチャレンジに向かっているようだった。
また来年、トヨタも一貴も更に強くなりルマンに帰って来てくれるだろう。

一方のニキはいよいよラストラップに入っている。
24時間戦い続けたチームメンバー全員が、ゴールラインに戻ってくるニキを祝福するためにピットロードへと集まってくる。
感動の瞬間だ。
内容は厳しいものではあったのだが、こうして24時間を走り切ったマシンとチームには大きな称賛が与えられるのがルマン24というレースでもある。
そしてニキがメインストレートに戻ってきた。 メカニックたちが手を振ってニキを迎えている。それに応えるように彼も拳を突き上げ喜びを表現している。

2016 ルマン24時間耐久レースを終えて

僕はこの時、小さく喜びを噛みしめていた。
嬉しいという言葉よりは、自分のやるべき仕事をほぼ完全にこなすことが出来たことに対する安堵感の方が大きかったのかもしれない。
僕が乗るP2クラスには他にも2台日本人が乗るマシンが上位にいたが、レースでは完走に至らず、結果的に僕は同クラスで唯一完走を果たすことが出来た日本人ドライバーとなった。
何度訪れても毎回違ったドラマが待っている場所、それがルマン24だ。

2016 ルマン24時間耐久レースを終えて

今年も本当に色々なことが起こったルマン24
ルマンのことを思うと「一意専心」という言葉が頭に浮かんでくる。1年に1度、たった1日のために全ての意識をそこに集中させる。日本でも日々奔走し、あらゆる準備を整えてフランスに渡る。そしてチームと共にレースに臨む。
この期間、本当に僕の頭の中はレースのことだけでいっぱいになり、それこそ寝ても冷めてもそのことばかりを考えている。それはきっとチームの皆も同じだろう。
そうした気持ちの先にルマン24というレースがある。レース中にトラブルでリタイアを余儀なくされひと目も憚らず泣き崩れるドライバー、レースでの勝利に拳を振り上げ、抱き合い、歓喜するメカニックたち…
大の大人たちがここまで感情をむき出しに出来るレース、それがルマン24だ。
いったい世の中でどれだけの人が、大人になっても一心不乱に取り組めるものに向きあえているだろうか?めぐりあえているだろうか?
今なおこうして僕がそういう気持ちでいられることが何よりの幸せであり、恵まれているかということに改めて感謝せずにはいられない。
そして…来年は勝つためにもう一度だけここに戻ってきたいと心から思っている…。
そのための戦いはもう始まっている。

2016 ルマン24時間耐久レースを終えて

最後になりましたが、今年このルマン24時間耐久レース参戦に際しまして、多大なるご支援ご協力を賜りました全ての方々に、改めて心から御礼を申し上げます。
深謝
ルマン―日本への機上にて。
中野信治

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