WEC世界耐久選手権 SEASON 2014

24時間を超えて2014(1)

24.
June
2014

「Shinjiが乗る予定の23号車のルマン24参戦への可能性は無くなった…。」

ミレニアムレーシングからこの絶望的とも言える連絡があったのは5月も後半に差し掛かったころだっただろうか。
今年僕がWEC世界耐久選手権及びルマン24を共に戦う予定であったミレニアムレーシングがメインスポンサーとの問題に巻き込まれていることが分かったのはWEC開幕直前のレースウィークだった。

3月半ばに渡英してからは徹底的なフィジカルトレーニングを続け開幕に向けてのテストを順調にこなし、最高の形でシーズンをスタートする準備は完璧に整っていた。
このタイミングでこんな事が起こるとはにわかに信じ難い。
本当に悪い夢でも見ているかのようだった。
今でもこの時のショックを言葉で表現するのは難しい…。

この開幕戦直前の青天の霹靂とも言える出来事により、チーム、そして僕自身が非常に難しい状況に追い込まれていったのは折に触れ書かせて頂いている通りだ。

チームはルマン24を終えた今も未だスポンサー問題への解決を見ることなく厳しい状況下にあるとの情報が入っている。
ミレニアムレーシングとして参戦予定であった2台のマシンのうち1台は、他チームの参戦取り消しによりルマン24への参戦の権利を獲得していたため、ぎりぎりのタイミングにはなるのだがルマン24参戦が実現するものと見られていた。

しかし、ルマン参戦への最後のデッドラインを過ぎても問題が解決することはなかった。
チームは本拠地であるイギリスを離れることが出来ずに23号車、22号車までもが今回のルマン24参戦を諦めることとなったのだ。
これがちょうどルマン24決勝スタートの1週間前のことだ。

24時間を超えて2014

時を同じくしてルマン参戦への一縷の可能性に賭けて6月1日のルマン公式テスト走行後も現地に滞在していた僕に信じられないような連絡が届いた。
「ルマン24で走る準備が出来ているか?」
僕は耳を疑った。
連絡をくれたのは僕が公式テストでマシンを走らせたチーム・タイサンのオーナーであるリッキー・千葉氏だった。

もちろん僕自身チームはこの時既にタイサンのルマン24ドライバーは決定済みだと理解していた。
この短かい時間の間にどのような事がチーム内で起こったのかはわからないが、僕がこのオファーにNoと答える理由はどこにもなかった。
僕はそんな奇跡が起こることを最後まで信じて、幾つかのチームとの話を続けながらテスト後もルマンに滞在し続けていたのだから。

僕にとっては奇跡と言っても過言ではないであろうこの出来事も、ルマンに滞在していなければ起こらなかったことだ。
信じられないような不思議な感覚と共に、絶体絶命の状況の中どこかで必ず何かが起きると信じ続けていた冷静な自分がいた。
僕は長いレーシングドライバー人生の過程において信じられないような出来事を幾度となく経験している。
そして幾多の危機的状況を乗り越えてきた。

なぜそうしたことが起こっているのかは正確には分からない。
ただ一つ言えるのは、奇跡はそれを起こすための努力と準備を続けてきた人間にしか起こらないと言うことだ。
僕はそんな自分で居続けるための努力だけは誰にも負けないくらい続けてきた自負がある。
逆に言えばそれ以外には何もないのかもしれない。
「セレンディピティ」
今では僕のレース人生そのものがずっとこの言葉と共にあると感じることが出来ている。

そしてそこから物事はあっという間に前に進むことになる。
最後の最後の大逆転で正式にチーム・タイサンフェラーリにてルマン24参戦が正式に決定したのだ!!

24時間を超えて2014

もちろんこの決定は僕を興奮させた。
ただ同時に僕自身慣れないGTカーでのいきなりのルマン24へのチャレンジに対する多少の不安もあった。
生粋のシングルシーター上がりのドライバーである僕にとって、車重が重くダウンフォースが少ない箱車のドライブ経験はほぼないに等しい。

十分な準備期間もなくいきなり初めて同然の箱のマシンで24時間を戦うのだ。
今までとはその戦い方も、マシンの走らせ方も全てが違う。
僕はチームの期待に答えられるのだろうか?
やるからにはチームのためにも、もちろん自分自身のためにも与えられた条件の中で最高の結果を出さなければならない。

このオファーを受ける以上、決して言い訳することは出来ない。
当然のことだがチーム、そして千葉氏も僕をエースドライバーとして起用する以上、走りだけではなくレースウィークを通してチームをまとめ上げることを期待してくれているのだろう。
それは彼らの言葉の端々から十二分に伝わってくる。

24時間を超えて2014

もちろん直接的な言葉ではない、やんわりとではあるが、その裏にある絶対的な信頼というプレッシャーをひしひしと感じるのだ。
僕自身この土壇場で大きなチャンスをくれた千葉氏の期待に応えなければならないと思っている。
僕はそのためにこのチームに呼ばれたのだ。
今までも色々な形でそれなりに修羅場を乗り越えてきたつもりだが、今回はまたいつもとは違った緊張感が僕を支配しているのを感じる。
こんな時に一番大切なのは思考を前に進めることだけだ。
もうやるしかない。

ジェットコースターに乗ったときのことを思い出して頂きたい。
コースターが頂上に達して今まさに急勾配を凄いスピードで駆け下り始めようとしている。
その瞬間全身に力が入り身体に反応して意識が後退しようとしているのに気づいているだろうか。
身体に力が入れば入るほど恐怖感は増し、そして当然ながらスピード感も増してくるのだ。

この時身体の力を抜き身体を前に預け、そして落ちていく先の方をしっかりと見てみて欲しい。
恐怖は消え普段味わうことの出来ないスピード感すらも楽しめる自分がいる事に気づくだろう。
三半規管の問題でどうしても苦手な方もいらっしゃると思うのだが、大抵の場合恐怖は自らの意識が作り出しているものなのだ。

恥ずかしい話ではあるが僕は小学生の頃ジェットコースターに乗れない子供だった。
コースターがスタートし最後に止まる瞬間まで一度も目も開けられない僕に、すでに停止しているコースターの隣に乗っていた同級生の女の子が声をかけてくれた。
「中野くん、もう止まってるよ。」
このときの恥ずかしさは今でも忘れない。(苦笑)
そんな僕が数十年の時を越えてF1ドライバーにまでなってしまうのだから世の中なんて分からない。

僕がアメリカ時代に戦っていたチャンプカー(INDY)にいたっては当時最高時速は400キロを超えていた。
こんなことを書いて良いのかは分からないのだが、僕がF1で戦うまでに成長したこと自体が奇跡なのかもしれない。
あの時僕の隣に座っていた同級生の女の子は今どうしているのだろう?
今ならジェットコースターくらい100周しても何ともない僕がいる。
また隣で一緒に乗って欲しいな…。

話を戻そう。
そんな僕にその後幾つもの奇跡がどうして起きたのか???
もちろん僕にも正確な理由など分からない。
ただその原動力が「夢」だった事だけは確かだ。
夢が少しずつではあるが、僕の意識を変えていったと考えるのは正しい表現だろうか。
恐らくは夢が持つ力、エネルギーがどれだけ偉大であるかをまず認識することが重要なのだろう。
F1ドライバーになりたいと本気で思えた瞬間に、僕は既にジェットコースターで一度も目を開けられなかった僕ではなくなっていたのかもしれない…。

24時間を超えて2014

皆さんにも信じられないような夢を実現して頂くために、今回は恥を忍んで告白させて頂くことにしたわけだが。(笑)

(2)へ続く

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