WEC世界耐久選手権 SEASON 2014

DUM SPIRO SPERO

3.
June
2014

気が付けばもうすぐ6月だ。
ここ数年の僕にとってこの6月は一年の内で最も緊張感と集中力に満ちた一ヶ月になっている。

希望に満ち溢れた若者のような心持で久しぶりのイギリスに降り立ったのが3月の半ばだった。
WEC参戦という素晴らしい機会を得られた満足感、そして緊張感、それら全ての感情が僕のアドレナリンを大いに刺激していた。

それが今現在2014年の6月を少しばかり複雑な心境で迎えている。
WECへの参戦が決定して以来順調に物事は進み、開幕戦直前にフランスのポールリカールで行われた合同テストでは並み居る強豪達を抑えてトップタイムを叩き出すことが出来ていた。
僕自身4月1日の自らの誕生日を目前にいいバースデープレゼントだった。(苦笑)
この年齢になって尚、世界を相手にこれだけの走りが出来ることは嬉しい驚きでもあった。

しかもこの時2番手タイムを記録していたのは昨年のルマン24でも勝っているOAKレーシングのマシンでありこのチームの絶対エースドライバーであるO.プラだった。
現在のところこのチームはWEC開幕から2戦を圧倒的な強さで連勝中だ。

そんな最高のスタートから一転、奈落の底に突き落とされたのは開幕直前の水曜日だった。
僕が所属するチーム、ミレニアムレーシングが抱えている問題により、急遽レースへの参戦を取りやめることになったのだ。
開幕2レースを欠場するばかりか、この影響でルマン24へのエントリーも取り消されることになった。
まさに泣きっ面に蜂とはこのことだ。

現在ミレニアムの22号車は、他のチームの1台がルマンのエントリーを取り消した為にルマン参戦資格を取り戻している。
ただ僕の乗車予定である23号車が参戦資格を取り戻すには、更に他チームのエントリー取り消しが大前提であった。

時間は刻々と過ぎるが他チームからの動きはない。
同時にチームが抱える問題にも進展が見られない為、時間軸の関係で全ての望みを絶たれてしまう。
ルマン24用のパーツなどを準備するにはある程度の時間がかかる。
そのデッドラインをチームは迎えていた。

そして迎えた運命の日にも、チーム側の問題が解決されたというニュースを聞くことは出来なかった。
これはこのミレニアムレーシングでの僕のルマン24参戦への望みが絶たれたことを意味する。

そしてそこから1週間が過ぎ、ルマンに参戦予定だったあるチームが諸事情で参戦を取り消すことになった。
これで僕の乗る23号車がエントリーできるスペースができたということだ!
やはり最後まで何が起こるかわからない・・・。
僕はこうして最後の最後に必ず動きがあると信じて、チームにも最後まで諦めない方向で動くように話を続けてきた。

我々にとってはミラクルともいえる参戦への絶好のチャンスだったのだが、しかし時間軸の問題でこれ以上状況を動かすことはできなかった。
渡欧を目前にして一つ目の奇跡を起こすことが出来たのだが、ただもう一つの現実的なチームが抱える問題が解決しなかったのだ。
そのため別のチームのマシンが繰り上がりルマンへの参戦資格を得た、というのがいまの状況だ。

今はいち早くチームが抱える問題が解決し、22号車のチームメート達が本番で素晴らしい走りを見せて くれることを心から願っている。
もちろん自分が走れない悔しさはある、いや悔しいなんてものじゃない・・・。
だが誰かを責めたとしても、何かにあたったところで何一つポジティブな事柄は見えてこないだろう。
もともと僕の乗車予定なのは23号車でありそれが現実なのだ。
とにかく今はチームの22号車だけでも参戦が実現することを願っている。

今ルマン近くの滞在先でこの文章を書いている。
レース参戦への可能性はほぼ絶たれてしまっているのだが、何が起こるか分からないのは何度も書かせて頂いている通りだ。
とにかく現地にいなければチャンスは来ない。
そして次へのチャンスにも繋げられない。
直接的、間接的であれチャンスは取りに行くものだ。

世界を目指す若いドライバー達に問いたい。
いったい何を目指しているのか?
その為にどんな努力をしているのか?
本当にその努力で十分なのか?
1パーセントのチャンスに全てを賭ける勇気はあるのか?

本気で世界を目指す勇気があるのなら冷静に自分を見つめ返して欲しい。
目の前のことを精一杯やるだけでは不可能を可能にすることは出来ない。
自分には能力があるからいつかチャンスがくる???
まあそう思っているドライバーは世界に飛び出せば五万といるだろう。
どうせそんなチャンスなんて来るわけない、あいつはラッキーな人間だとくだを巻いている人間など論外だ。
大体の場合職業ドライバーはそんな思考回路から生まれてくる。

僕は18歳の時に日本を飛び出し、そして世界を知った。
それは同時に自らの能力がいかに'普通'であるかを現実として知るタイミングでもあったのだ。
僕にとっての本当の戦いはそこから始まった。
足りないものを埋めるには時間が必要だ。しかし時間は有限なのだ。

僕は目標と向き合う時、必ず時間を逆算して考えるようにしている。
そうすれば、もう少し時間の意味を理解することが出来るだろう。
少なくともF1を目指す若者がゴルフに興じている時間などあるとは到底思えない。
話がずれてしまった。

いずれにしても僕は現地に行かなければと思っていたのだが、ぎりぎりになってチームタイサンからテストデーを走らないかとのオファーを頂いた。
現地でマシンに乗れないことほどドライバーにとって悔しいことはない。
それがテストだけであっても今の僕にとってこれは有り難いオファーだった。

実はミレニアムレーシングに問題があることが公になった時点でタイサンの千葉氏からずっとレース参戦のオファーを頂いていた。
ただその時点ではまだミレニアムの可能性が消えていなかった為、いいお返事をする事が出来なかったのだ。
あの日本人離れしたパッショネイトなMr.Chibaと共にルマン24を戦うことは残念ながら叶わなかったが、それでもこうしてテストで彼のマシンを走らせることが出来るのは光栄なことだ。

イギリスから日本への帰国後は信じられないような忙しさだった。
帰国からいま3週間も経過していたことが信じられない。
現在の状況を鑑みてベストと思われるありとあらゆる可能性を探り続けた3週間だった。
渡英以来徹底的に続けているトレーニングも欠かしてはいない。
43歳の体を20歳台の若いドライバー達と戦える体に戻さなければならないからだ。
もちろんやるべきことはそれだけではない。

そして今こうして僕はルマンにいる。
僕は今年、このルマンから何を持ち帰られるだろうか・・・。

DUM SPIRO SPERO

中野信治

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