明け方2時半に自宅を出発して向かった先は宮城県東松島市。
今回の東日本大震災により甚大な津波の被害を受けた地域になります。
途中今回の医療ボランティアを率いるブルークリニック青山の内藤眞禮生先生他スタッフの皆さんと合流。
一路、東松島へ向け出発。高速道路を運転しながら大きな凸凹を通り過ぎるたびに、被害の大きかった東北地方へ自分が近づいてきていることを実感し始めます。
朝4時半過ぎには朝日が山の稜線の向こうに昇り始めました。
真っ暗だった視界が徐々に開けると、そこには朝日に照らされた穏やかな日本の原風景が浮かび上がってきます。
こんな美しい風景が一瞬のうちにして消えてしまうような恐ろしい出来事が起こるなんて、誰が予想し得ただろう…。
車を運転する事4時間半、東松島に到着するとまずは災害対策本部となっている東松島市役所に向かい、阿部秀保市長をはじめとする皆様にお目にかかりました。
ここでは今回の震災での東松島の被害の様子などを震災前と後の写真を見比べながら詳細にご説明頂きました。以前の様子とまったく変わってしまった写真を見て一同言葉を失います。
その後は宮城県議員の渥美巖氏に市内の甚大な被害を受けた地区をご案内していただく事になりました。
ここで改めて写真やテレビなどの映像とは比較にならないほどの衝撃 を一同受ける事になります。
もはや言葉が出ないのではなくて、人間はこのような光景を目にした ときに口にするべき言葉を持っていないと言うのが正しいのかもしれない…。
それほどまでに凄まじい光景がそこにはありました。
そして訪れたのが今回の震災により家を無くされた方達が現在生活をされている各避難所。
この日は結局1日で4箇所の避難所をまわる事に。
ここで今回の医療ボランティアを実現して下さった内藤先生をはじめ看護師のスタッフの皆さんが問診、ビタミン注射やマッサージ、サプリメントなどの提供を行います。
栄養状態が良くなく体調を崩し気味の方達が避難所に数多くいらっしゃるということを聞いて、内藤先生が自分に何か出来る事はないかと考えられた結果、実現した今回の医療ボランティアでした。
偶然にもこの内藤先生とお世話になっている僕の知人がお知り会いだったことから僕もご一緒させていただくことになったのです。
今回の震災後、僕が抱き続けていた思い、そして葛藤。
ルマン参戦という自身の夢を追い続けること。
日本が危機的状況であるこのようなタイミングに?
本当にこのままでいいのか?
そんな時に僕の背中を押してくださったのは、友人達とこのような厳しい状況の中でも僕を応援してくださっている支援者の方々でした。
このような状況だからこそ、世界への挑戦、夢を追い求めることをやめないで欲しいと言葉を下さった方達へは本当に感謝の言葉もありません。
今年開催79回目を数える世界でも有数の偉大なレースイベントであるルマン24への参戦、2011年のこのイベントには僕が日本人としてはただ一人の参戦となりました。
こうして日本の代表としてルマン24に参戦できる事になりましたが、僕は現地でこの現在の日本の状況や被災地の方々の思いを出来る限りきちんと伝えなければならないと思っております。
その為にも僕は渡欧前に必ず被災地に行くと決めていました。
現地の状況を直接自分自身の肌で感じ、ボランティア活動を通してお話させていただいた被災者の皆さんの言葉を、そして気持ちを僕と一緒にフランスに持っていければと思い、今回被災地へ赴くこととなった次第です。
東松山市では5月4日現在1023人の尊い命が奪われました。
現在も770人を越える方々が行方不明となっています。
そこにあったはずの町並みが全て津波に飲み込まれ、そして跡形もなく消えてしまった後の茫漠とした空間・・・。
この状況を少しでも沢山の方々に伝えて欲しいと言うお話を避難所に暮らす方から伺いましたので、敢えて今回撮影した東松島市内の写真を載せさせて頂くことにしました。
僕は過去にこれほどまでに大きな衝撃を受けたことがありませんでした。
直接の被災者ではない僕がこれほどのショックなのですから、当事者の皆さんのお気持ちはいかばかりかと思います。
実際に今回僕が目にした風景はずっと僕の心の中から消える事はないでしょう。
今回避難所でお話させて頂いた方の中には家族や友人の方を沢山亡くされた方もいらっしゃいました。
訥々とした口調でその悲しい体験を話してくださった避難所の方々。
身内や友人を亡くされた方もいらっしゃいました。
その心中たるや、僕には想像も出来ないような厳しいものだと思います。
そんな状況の中、信じられない事に僕が沢山の避難所に暮らす方々から耳にした言葉は、「わざわざ遠いところからお越し頂いてありがとう」という言葉でした。
「ありがとう」と言う言葉のもつ意味、感謝の気持ちの持つ力をもう 一度僕自身が考え直さなければなりません。
東北の方々の気質なのでしょうか。
このような状況にありながら今回一度も誰からも愚痴のような話を聞くことはありませんでした。
これが元来日本人が持つ精神性であり、心の強さなのかもしれません。
僕が避難所を後にする時にはそんな皆さんが僕に向かって「レースを頑張ってください、ずっと応援しています。楽しみが増えました。」と手を振って送り出してくれました。
僕は返す言葉に窮します。
応援しなければならないのは僕の方なのに・・・。
奇しくも震災の発生からちょうど3ヶ月目にあたる6月11日がルマン24のスタートの日です。
戸惑う僕に車が見えなくなるまで手を振り続けてくれていた皆さんの為にも、僕は遠いフランスの地で全力を尽くして戦い抜く事を誓う、ただそれだけしかできませんでした。
今回僕はレーシングドライバー中野信治としてではなく、同じ国に暮らす一人の人間中野信治として、この医療ボランティアのお手伝いをさせて頂きました。
このような場で自分が何者であるかを伝える事にはあまり意味を感じなかったという事もあるのですが、やはり一人の人間中野信治として皆さんに接する事の方がよりストレートに現地の方々の声を聞く事が出来ると考えたからです。
こうして1日中ずっと被災者の皆さんと時間を共有させて頂いた事で、僕は本当に沢山の事を考える機会を頂きました。
このような貴重な機会を頂きました内藤先生をはじめ今回の医療ボランティアに従事されていたスタッフの皆さんにも心からのお礼と敬意を表したいと思います。
本当に皆さんお忙しい中自分達の休みの時間を割いて少しでも誰かの助けになればという思いで実現したボランティアでした。
最後に被災地で感じたのは、皆さん頑張ろうではなくて、頑張れる場所や方法を我々や行政が考え、作っていく事が当面の課題のような気が致しました。
頑張りたくても頑張れる場所がないという切実なお話も沢山伺いました…。
そんな皆さんの為にも、頑張らなければならないのは僕らの方なのではないか思います。
日本の中での事はもちろん、どうすればもっと海外からの応援や支援が大きくなっていくのだろうか。
まだまだ復興はこれからで、被災者の方達の戦いはこれからも続きます。
それなのに時間が過ぎると、皆の意識からこの出来事が 薄れていきます。
今後も引き続き我々が自分に何が出来るかを考え続けなければなりません。
長くなりましたが、どうしても今回僕が被災地を訪れて感じた事を少しでもきちんとお伝えしたくて・・・。
改めてこうして自分が本当に心の底から望んだ戦いの舞台に再び立てることに感謝し、僕はレーシングドライバーとして、そして一人の人間としてやらなければならない事を全力でやりぬきたいと思っています!
中野信治