久しぶりに見るイタリアの空。
本当に懐かしい・・・。
僕は飛行場を出るとまず空を見る癖がある。
それは国内であっても、日本以外の国でも同じだ。
空は実に面白い。
季節によっても、その時の自身の気持ちの在り方でも空は全く違ったものに見えることがある。
毎日空を眺めていると、その時々の自分自身の心の中を省みることが出来たりもするものだ。
イタリアの空はここ数年僕がルマン24参戦の度に訪れているフランスで見ている空とはまた少し違う気がする。
今回は僕の親友達に誘って頂きこのイタリアへの旅が実現した。
これだけ海外での生活が長かったのにも関わらず、僕はレース以外で海外を訪れることがまったくと言っていいほどない。
今回のイタリアへの旅はもちろんリラックスだけが目的ではないのだが、今までの大きなプレッシャーに晒された中での海外での滞在とは少しばかり違ったものになるだろう。
しかも今回は気心の知れた親友2人と一緒なのだ。
僕はイタリアに少しばかり他の今まで訪れた沢山の国々とは違った思い入れがある。
その理由はこうだ…。
少し時計を逆回転させて1998年に遡ってみよう。
*
1998年。
この年の始め、僕は2年目のF1への参戦交渉のためにイタリアはミラノに滞在していた。
2月だったかな…。
凍てつくような寒さだけは体が覚えている。
当時チームとの交渉は僕が直接担当していたわけではないのだが、いつ何時動きがあるかが分からないため、僕はマネージャーの事務所があったミラノに滞在していた。
ミラノでの滞在が数日を過ぎた頃、マネージャーから連絡がきた。
結論から言うと契約交渉は失敗に終ったという事を伝えられたのだ…。
子供の頃からずっと憧れ、夢に描き続けていたF1の世界での戦い。
その憧れの舞台で2年目を迎えられないことへのショックで思考回路はストップし、この時の僕の心はこの時期のヨーロッパの気候のように冷え切ってしまっていた…。
同時にマネージャーからはこの契約交渉の結果を日本側に伝えるため、すぐに日本に帰国することになったことも告げられた。明後日ただちに帰国する事が決まったのだ。
あぁ…もう二度とここイタリアには戻って来る事はないかも知れない。
イタリアか…。
この時何を思ったのだろう。
何か記念になるものでも買って帰ろうかなどと考えている自分がいた。
僕にしては珍しく買い物にいくことにしたのだ。
どれだけ珍しいか?
当時の僕はファッションには全く興味がなく一年中同じようなものを着続けているくらい無頓着な男だった。そんな僕が一度くらい自分で買い物でもしてみるかと思いたったのだ。
当時僕が滞在させてもらっていたのは、かの有名なブランドの路面店がずらりと立ち並ぶVIA MONTE NAPOLEONEの入り口にあるホテルだった。
買い物好きの人であれば、このホテルの立地はたまらないロケーションだろう。
ただ当時の僕はそんなことにはまったく興味がなかったのである。
素敵なホテルにも洋服にも。今では大好きなイタリア料理にも…。
僕の唯一の興味はF1ドライバーとして戦い続けられるかどうか、ただその一点だけだった。本当にそれ以外何も興味がなかったのだ。
お酒も飲まない、タバコも吸わない、テレビすら殆ど見ていなかった。もちろん賭け事にも興味がない。
どうせ時間を使うなら、運を使うなら、全てレースのために使いたい。
いつもそう思っていた。
当時僕はプロとして世界で戦わせてもらっているからには、そんな事は当然のことだと信じていた。
だからと言うわけではないが、ヨーロッパに住んでいながら観光になど一度たりとも行ったことがなかったのだ。
今考えると何てもったいないことを…。(苦笑)
でも、時間とはそういうもの。自らの大切な時間はそうやって使うものなのだと思う。
やりたいことがあるのなら、本当に望む事があるのなら、全てはその実現のために注ぎ込まなければならない。
それは凄いことでも何でもない、至極当たり前のことなのだ。
他のドライバー達がどうかは知らないが、それが僕が長年貫いている信念でもある。
時間は有限である。
何が今の自分にとって一番大切なのか、今一度自分自身に問いかけて欲しい。
本当に心の底から望んでいれば、いつかチャンスは訪れる。
今までの僕のように。そして、今回の僕のように…。
*
僕はマネージャーからこの厳しい知らせを聞いた後、こうして帰国の前日に何を思ったか買い物にいくことにしたわけだ。
せめてイタリアに来た記念に何か手に入れて帰りたいなぁ。
自分が再びF1マシンのステアリングを握ることは出来ないと思うと、暗澹たる想いが僕の胸を締め付ける。
僕はこれまでどれだけの想い、時間の全てをこのF1に捧げてきたのだろう。
もちろん、それは僕だけの夢ではなかった。
僕を育ててくれた両親や支援してくださる方々、そして沢山のファンの皆さんの夢でもあったのだ。
ご存知かどうかは分からないが、僕は一年目のF1で満足と言える結果を手に入れることが出来なかった。
僕はこのフランスのチームで本当に色々なことを経験した。
それはもちろんいいことだけではない・・・。
僕を応援してくださった方々への名誉のためにもこのことは殆ど口外していないので、僕がこの1年目のF1チームでどのような戦いを強いられたか、隠された真実を知る人は少ない。
この一見華やかに見えたであろう当時最年少での僕のF1への参戦。
その裏側にあった苦悩と現実。
少なくともシーズンの前半は本当に苦しかった。その内容は割愛させて頂くが…。
僕は近年ルマン24参戦のために訪れるフランスで、当時のチーム関係者やメカニック達とたまに再会する機会がある。
彼らが同様に口にするのは、あの年の僕に対する謝罪の言葉だ…。
だが全ては過去の話、今振り返ってみればあの経験すらも人として成長するための大きな転機になったといっていい。
今では孤独に絶え続け、戦い続けたあの一年が僕を強くしてくれたと思っている。
だからこそ、こうして今はあの一年の経験に心から感謝する事が出来るのだ…。
話を戻そう。
F1は僕の子供の頃からの夢であり全てだった。
時間も、その想いも、全てはF1で戦うことだけをイメージして自分自身をそこに特化させてきたつもりだ。
これだけは誰にも負けない自信がある。
僕は日本においては少々異質な存在であり、受け入れられにくい一面があるのかもしれない。
でもそれは、そんな僕の強い意志、信念の裏返しだと思っている。
言い訳するわけではないのだが…。(苦笑)
時は遡って再び1998年の2月、モンテナポレオーネ通り。
当時マネージャーのアシスタントをしていたのはイタリア人のアルベルト。
さすがに一人では買い物に動くモチベーションがなく、アルベルトに付き合ってくれないかと頼んでみた。
そして快諾してくれた彼と共に向かったのは、恐らく買い物好きでこのブランドの名前は知らない人がいないであろうARMANI。
当時洋服に興味のなかった僕でも知っていた。いや、要はそれしか知らなかったのである。(苦笑)
モンテナポレオーネ通りを歩いてたどり着いたのはEMPORIO ARMANIだった。
店に入ったものの正直何を買っていいのか分からない。
当時はARMANIのスーツがとても流行っていたような気がするがどうだったのだろう。
僕はその頃まともなスーツを1着も持っていなかったので、ここで思い切ってスーツを購入する事を決めた。
ただこのお店では好みのスーツが見当たらない。
そうだ、GIORGIO ARMANIにも行ってみよう。
確かARMANIには2つのラインがあると聞いたことがある。
もしかしたらそっちのお店に僕の好みに合ったスーツがあるかもしれない。
僕たちは店を出てGIORIGIO ARMANIに向かって再び歩き出した。
少し通りを歩くと、どこかで見覚えのある顔が道の先に見えるではないか。
ただ僕はこの人との面識がない。雑誌で見たことがある程度だ。
「なあ、アルベルト。あの人ルミさんに似てないか?」
「そうだな、確かに似ているな。というかそのものじゃないのか?」
ガブリエレ・ルミさんはFONDMETALの社長であり、僕が今回交渉を続けていたチームミナルディのオーナーだ。
当時はイタリアの鉄鋼王でもあったらしい。
(でもこんな所にルミさんがいる訳がない・・・。)
そのまま遠巻きにすれ違い50メートルほど歩いたころだろうか、気になって一度後ろを振り返ってみる。すると向こう側にいる強面のイタリア人も首を斜めに傾けているではないか。
「アル、ちょっと付き合って!」
思い切って彼のいる方へと走る。
そしてアルベルトが話しかけてみると、その人はまさしくガブリエレ・ルミさんだった・・・。
アルが声をかけ、そこから会話が始まった。
まだイタリア語を勉強し始めたばかりの僕でもだいたい彼らの話している内容は理解できた。
「今回は契約が合意に至らなくて非常に残念だった…。」
「ち、ちょっとまって!アル、一つ聞いて欲しい事があるけどいい?」と僕。
「OK。」
「今回契約交渉が駄目になった理由を聞かせて欲しいんだ。」
僕にとっては間違いなく、100%これが最後のチャンスだ。
直接交渉を行っていない僕には本当のところ、どのよう経緯で今回の結論に至ったのかが分からない。
普段絶対にしない買い物に出かけ、店を間違え、GIORGIO ARMANIに向かう途中にミナルディのオーナーであるルミさんに出会うなんてどんな確率なのだろう・・・。
そもそもルミさんはここミラノの住人ではない。
彼のオフィスがあるのは確かミラノから1時間ほど離れたベルガモだったはず。
アルがルミさんに今回の経緯を話し始めた。
そして、ルミさんの口から出てきたその理由は…僕が聞かされている内容とは異なるものだった!
「いや、それは違う…。アル、こちら側の話を僕が説明するからそのままルミさんに伝えて欲しい。」
アルを通して僕の話を聞いたルミさんの表情が緩むのが見て取れた。
「今の話は本当なのか?」
ルミさんはそう僕に尋ねる。
ここで嘘を言ってどうする?
僕が聞いている日本サイドの情報は間違いない。僕はもう一度その話を彼に伝えた。
「それなら契約が可能だ!もう一度話そう!」
ルミさんの口から思いもよらない言葉が飛び出した。
しかし時間は一刻を争っていた。
よくよく話を聞くと彼は他のドライバーとの契約交渉のためにミラノに来ていたのだ。
僕はその場で当時のマネージャーに連絡を入れた。
そこから先の話はもはや必要ないだろう。
1998年、僕は2年目のF1をミナルディで戦うことが出来たのだから!
*
もし奇跡が起こるとしたら、それはどんな時なのだろうか?
奇跡のような出来事は意外と身近なところで日々起きているのかもしれない。
ただ人間はそれを認識出来ていないだけだ。
この時の出来事は今も僕の心に大きな良き思い出として残っている。
そして心の支えにも・・。
良かれ悪かれ、人間は自分自身が思い描いていることを具現化させていることが多い。
ただそれを自分の脳が認識出来ていないだけなのだ。
越えようとする壁が高い時には、その壁を越えることはとても難しいと感じるだろう。
でもどんなに高い壁にも越えられる瞬間があるということを僕はこの時に確信として知ったのだ。
皆さんは「Serendipity」と言う言葉をご存知だろうか?
これは造語である。
セレンディップの3人の王子のお話はネットででも調べて頂きたい。
これはもう随分昔から僕の好きな言葉だ。
この偶然の幸運に出会える回数こそが、その人それぞれが持つ想いの強さの差なのだろうとも感じている。
そしてそれを意識し、認識する事が出切る能力そのものが、その人の持つ洞察力の鋭さ、そして心の透明度の高さでもあるのかのかもしれない。
僕にとってのSerendipity、それはこの「モンテナポレオーネの奇跡」…。
僕はいつかこの場所に戻ってきたいと思っていた。
そして15年の歳月を経て、今回それが実現したのだ。
今回のイタリアへの旅は、僕の大切な親友達の粋な計らいで実現した。
これは彼らがWEC(世界耐久選手権)のレース前から僕のこのレースでの優勝を想定して用意してくれていた旅だった。
僕はレース前、日程だけを空けておいて欲しいと言われていた。ということはレース前から僕が勝つことが前提だったというわけだ。(苦笑)
今回ミラノで宿泊したのは、当時交渉の際に宿泊していたホテルの直ぐ隣に新しく出来たARMANI HOTEL MILANOである。
1998年当時にはまだなかったホテルだ。
僕のモンテナポレオーネの奇跡の話を知っている彼らが、そのきっかけとなったARMANIのホテルを用意してくれていた。
なんと洒落た真似をしてくれるのだろう。
でも宿泊するのは40歳を過ぎた男が3人…。凄く嬉しいけれど。(笑)
僕は当時あのARMANIのお店で購入したスーツを今でも大切に所有している。
ちょっと今の流行には合わないので最近は袖を通していないのだが、いずれまたあの頃を思い出して袖を通してみよう。
もちろんサイズは変わっていない、僕の体型はあの頃から全く変わっていないのだ。
僕があのスーツに袖を通せなくなった時、それは僕が完全にレースをやめた時なのかもしれないね・・・。(笑)
そしてこのミラノでどうしても会いたい人がいた。
それはこのモンテナポレオーネの奇跡を共に経験した張本人のアルベルトだ。
彼とは1998年の終わり以来会っていない。
実に10年ぶりくらいだろうか。
日本を発つ前日、彼に電話を入れてみた。(この番号はまだ繋がるのかな・・・。)
「Pront」
懐かしいしゃがれ声が電話口から聞こえる。
「Ciao Alberto!」
そして僕がミラノに行くことを告げると、是非時間を合わせて会おうと話がとんとん拍子に進んだ。
アルベルトとの再会だ!
こうして晩秋のイタリアに飛んだ僕たち一行は、約束の地ミラノに降り立ったのだった。
*
滞在2日目。
ミラノに住んでいた知人から聞いた評判の良いレストランを予約し、親友達と共にタクシーでレストランへ向かう。
レストランに着くと当時と変わらない小柄で色黒の南イタリアから現れたかのようなアルベルトが先に着いて僕らを待ってくれていた!
僕たちはイタリア流の挨拶を交わし席に着いた。
そして素晴らしく美味しい食事と懐かしい話に花が咲いた。
ひとつひとつの出会いを大切に紡いでいくことが、またその先の素晴らしい出来事や出会いに繋がるのを僕は知っている。
こうしていい時間はあっという間に過ぎていった・・・。
Ci vediamo!
*
次の日我々はある工場を訪れるため、ミラノから40分程離れた場所へとレンタカーで移動した。
運転はヨーロッパでのドライブに慣れている僕が担当する。
今回はかなりの距離をドライブすることになりそうだが、運転に関しては少々自信があるので喜んで担当する。
何よりもこんなに素敵な時間を用意してくれた親友達に僕がしてあげられるのは、最も安全且つスピーディーな移動くらいだろうから。
最初の移動はビジネスベースなので割愛させて頂くが、その後訪れたのがBresciaにあるSouth Garda Circuit 。
このサーキットの近くには主要なレーシングカートメーカーの工場が幾つか集っている。
その中にはかつて僕がカートレースを戦っていた頃に使用していたカートメーカーもある。
日本の友人の計らいで今回そのカートメーカーの工場を見学させて頂き、近くのサーキットで最新のカートをテストドライブさせてもらってきた。
カートには僕のレーシングドライバーとしての全てが詰まっている。
思い出、学び、出会い、全てはここから始まったのだ。
だからこそ僕は昔も今もカートをとても大切にしている。
でもまさかイタリアまで来てカートに乗る事になるとは!
当日は今年の世界チャンピオンを獲得しているドライバーもサーキットに来ていて一緒に走る機会にも恵まれた。
今でも若いドライバー達と一緒に走るのは新鮮で楽しい。
彼らは今まさに未来のF1ドライバーを目指して世界で凌ぎを削っている将来有望なドライバーだ。
彼らを見ていると25年前の自分を思い出す。
ちょうど僕が当時の世界チャンピオンを打ち破り、世界一を獲得した年だ。
僕がちょうどこの世界チャンピオンのドライバーと同じ16歳の時だった…。
今年でもう41歳になる僕なのだが、それでもそう簡単には負けられない!
こうして夕暮れまで目一杯友人達とカートを走らせた後、再び車をミラノへと走らせる。
この日の夜はミラノでSPONTINIのピザを食べる予定になっていた。
ここのピザはナポリ系のもちもちピザだ。
友人がこれが大好きだというので行ってみることに。
お店には長い行列が出来ている。
イタリア人も並ぶのか…。
ちなみに僕は並ぶのが大の苦手なのだ…。(苦笑)
あくる日には長距離ドライブが待っている。
ここでしっかりと食べておかないと、と言い聞かせながら本場のピザを堪能した。
*
そして翌日。
僕が1年間仮の住まいにしていたFAENZAにあるHOTEL CAVALLINOに向かう。
車を走らせること3時間とちょっと。
眼前には懐かしい風景が映り始める・・。
(帰ってきたんだなぁ。)
ここは驚くほどの田舎町だ。実に14年ぶりである。
かつて僕はここを拠点にして、世界最高峰のレースであるF1を戦っていた。
僕は所属するミナルディの工場以外何もないこの町でトレーニングとチームとのミーティングだけに明け暮れていたのだ。
ここからヨーロッパの各サーキットへはチームのプライベートジェットでの移動だった。
毎回戦いを終えてこのホテルに戻ると、そこには圧倒的な静寂が待っていた。
きらびやかで想像を絶するようなスピードで動き続けるF1サーカス、そして対照的に時間が止まってしまっているかのような田舎での生活。
この究極の「静」と「動」が当時の僕に時間の概念の何たるかを教えてくれた気がする。
今でも時間が出来ると僕が神社仏閣や田舎に行くのが好きな理由はそこにある。
僕は特別な宗教を持っているわけでもない、単に自分自身が気持ちがいいと感じる場所に行きたいだけ。
それが僕の場合、自然だったり田舎だったりするだけなのだ。
都会に住んでいると、色々な当たり前でないことが当たり前になってきてしまうことがある。
自分自身を見失わないために、僕はいつもこの「静」の時間を大切にしているのだ。
ホテルに入ると懐かしい顔が見える。
このホテルは家族経営なのだが、ここで働くご家族の皆が僕を覚えてくれていて暖かく迎えてくれたのだ。
今回遥々このホテルにきた一番の目的は、このホテルのレストランでランチを食べること。
当時僕はこのホテルのレストランでいわゆる「まかない」のような感じで昼も夜もここでイタリア料理を食べていたのだ。
これがまた美味しいのである。
日本食が恋しくなった事は一度もなかった。
ボローニャから程近いここFAENZAは食事が美味しいことでも有名だ。
ピザにパスタ、そしてリゾットもある・・・。
この地方には幻のオリーブオイルなんていうのもあったな。
僕がイタリア料理を好きになったのは他ならぬこのホテルでの食事が大きなきっかけだったのだ。
久しぶりにこのレストランで食べる食事はやはり絶品。
田舎のリーズナブルな価格で食べる家庭的で絶品のイタリアンは胃袋だけでなく食べる者の心まで豊かにしてくれる。
これはフランス料理であっても同じだ。
本当のところロングドライブの苦手な僕だけど、頑張って寄り道をして良かった。
一路ここからフィレンツェへと向かうことに。
時間にして2時間くらいの距離だろうか。しかし途中渋滞もあり、3時間くらいかかった。
ここフィレンツェには一度訪れた事がある。
ポンテヴェッキオ、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、ウフィツィ美術館…。
古い小さな町だが、落ち着いた趣は僕の好みかもしれない。
ドゥオーモの長い長い階段を登リ切ると、そこにはフィレンツェの素晴らしい町並みが広がっていた。
ドゥオーモに入った時にはまだ降り続いていた雨がすっかり上がり、雨上がりで美しさを増したフィレンツェの町が僕らを出迎えてくれたのだ。
この大聖堂、階数にしたらマンションの20階くらいになるだろうか。
教会の狭くて暗い階段はお年寄りには少々きついかもしれないが、普段高層階でもエベーターを使わずに階段を使い続けている僕なので少々自信がある。
辻仁成と江国香織が共著した『冷静と情熱のあいだ』を読んだ方にはフィレンツェが更に魅力的に映るかもしれない…。
あくる日には電車でローマまで足を伸ばすことに。
僕にとってローマは初めて訪れる街だ。
ローマは一日にしてならず。
そんな言葉にもあるように、かつてこの町は栄華を極めた帝国の首都でもあった。
すっかり観光地と化した町並みは少々期待はずれでもあったのだが、コロッセオの迫力はやはり圧倒的だった。
重い重い歴史の波がそこにはまだ流れている。
当然ここにも行ってきた。
気持ち悪くも男3人でコインも投げてみましたよ。(笑)
この日は一日中、全ての道程を自分の足で歩いてみた。
3万歩くらいは歩いただろうか。
サンピエトロ寺院からスペイン広場、コロッセオにフォロ・ロマーノ。
歩くことでその町の色々な特徴が見えてくる。
で、一番面白かったのがこの標識。
陽気なイタリア人のユーモアのセンスを感じる。
これをそのままにしておく警察も警察だが・・・。
良くも悪くもイタリアンだなぁ。(笑)
皆さんも海外に行ったら、出来るだけ自分の足で歩くことをお勧めします。
きっと面白い発見がありますよ!
再び電車に乗ってフィレンツェへと戻る。
駅で見つけたこの列車がナイスだった。
ピニンファリーナのデザインだとか。本当にセンスがいい。
日本もこんな感じになればいいのになぁ…
そしてフィレンツェで何度も通ったトラットリア。
このお店の雰囲気が最高だった。
日本で言えばちょっと小奇麗な定食屋さんと言ったところだろうか。
味も最高。美味しいパスタとサラダの後には男3人で一つのデザートを食べる。
間違いなくイタリア人から僕らはOOだと思われていただろう。(苦笑)
実際お店を出る際にはおじさん同士のカップルに最高の笑顔で手を振られたのだ!
こんな感じであっという間に過ぎ去った1週間。
いい時間は一瞬である。
でもその思い出は永遠だ。
今回の旅で改めてやっぱりイタリアは好きな国だと感じることが出来た。
戻ってこられて良かったと心から思う…。
こうして僕には日本以外にも学びをくれた沢山の国々がある。
井の中の蛙大海を知らず
そんな諺があるように、世界には常識の概念を覆されるような事柄が山のように溢れている。
今の日本は大きな岐路に立たされていると言っても過言ではないだろう。
今後は今までと同じ角度で物事を判断し、そこに価値観を見出すことだけでは立ち行かなくなる事柄が数多く出現してくることになると思う。
だからこそ我々は自分自身を内観する事を忘れず、そして変化を恐れずに前へ進まなければならないと強く感じている。
この旅は改めて僕に沢山のインスピレーションをくれた旅でもあった。
全ての物事には意味がある。
昨今では実にありふれた言葉かもしれない。
しかし、それらの出来事をどのように感じ、判断するのかは誰あろう僕自身であり、あなた自身です。
そもそも我々は人生という壮大な旅を続けているのだ。
次はどんな旅が僕を待っているんだろう…。
中野信治