15.
Apr.
2014
イギリスのヒースロー空港は、アメリカのインディアナポリス、そしてフランスのシャルル・ド・ゴール空港と共に僕にとってはとても思い出深い空港だ。
いずれも僕のレース人生の中で大きな転機を迎えた時に降り立った空港でもある。
ヒースローは僕が18歳の時、F1を夢見て日本を飛び出した時の初めての海外の空港だ。
折りしもこの頃世界情勢は混沌としていて湾岸戦争が起こっていた時期でもある。
シャルル・ド・ゴール空港へはそこから8年が経った26歳の時に、兼ねてからの夢であったF1ドライバーとして再び降り立つことが出来たのだ!!
ただ同時にこの'97年は僕のレース人生においてはとてつもなく大きな試練であったのも事実だ。
この年、僕は夢と現実は違うと言うことも嫌と言うほどに経験した。
F1は学びに行く場ではなく、戦いに行く場所なのだ。
そして僕を一番苦しめたこと、人を信じる事が出来なくなるのは何よりも辛いことだった。
ただそれらの全ての出来事が僕を強くしてくれた。
前に進まなくてはならない。
思考を後退させては駄目だ。
全ては自分自身の意思が決めると言うことを忘れてはならない。
この一年は僕のその後の人生において必ず必要になるであろう得がたい経験だったのだ。
そしてもう一つはインディアナポリスの空港。
ある意味、僕にとってはF1時代以上に思い出深い地なのかもしれない。
F1を離れ当時アメリカの最高峰のレースであったチャンプカーを戦うための渡米だったのだが、ヨーロッパで海外でのイロハを学んだ僕にとっては、当初受け入れるのに戸惑った事柄が山のようにあった。
そして何より忘れられないのが、アメリカに渡った2年目に起こった911である。
僕はあの日、まさに機上の人だった。
ちょうどドイツに向かう飛行機の中だったのだが、到着したドイツでテレビから流れてくる映像を見て背筋が凍りついたのを覚えている。
結局僕はそれぞれの国で3年、1年半、3年半を過ごすことになる。
あれこれ合計すると海外での生活は10年以上にはなると思う。
自分で言うのも何なのだが、僕はかなりの出不精だ。(苦笑)
何も予定がなければ少しでも家にいたいと思ってしまう。
少し方向がずれるとオタク?引きこもり?と言った感じなのかもしれないのだが、よくよく考えてみると特に熱中している事柄もない。
もちろん外が嫌で家にいる訳ではないので完全に引きこもっている訳でもない。
たまにゴルフやテニスもやる、本を読むのも好きなのだが活字中毒ではないので趣味というには及ばない。
テレビもあまり見ないし漫画も読まない。子供の頃は大好きだったんだけど…。
晩酌もしないしタバコも吸わない。もちろん賭け事もしない。
正直なところ普段乗る車にも全くと言ってこだわりがない。(笑)
長距離運転が苦手なので、ドライブもあまりしていないなぁ。
関西人なのに面白いジョークの一つも言えやしない…。
ほんまにつまらない男だと思う。
そんな僕がこれだけ長い期間日本を離れ海外で生活をすることになるとは、人生は本当に分からないものである。いや、そんな僕だから海外が合ってるのかな?
不思議と僕は海外の田舎での生活を嫌だと思ったことが一度もない。むしろ落ち着く。
F1時代から僕は好んでチームの傍の田舎に住むようにしていた。
F1ドライバーが皆モナコに住んでいる訳ではないのです。
日本人も含めモナコに住んでいるドライバーは沢山いるようだがそんなに暮らしやすいのかな?それともやっぱり節税なのだろうか。
羨ましいような、あまり羨ましくないような…。
まあ人のことはいいとして、今の僕の目標は、「趣味は?」と質問された時に何か即答出来るようになることである。もちろん冗談だが、半分本気だ。
皆さんは僕がどんな趣味を持つのが良いと思われますか???
あれこれ考えてみると、この年齢になった今でもやっぱり考えているのはレースのことが多いかな。
そうだ、あえて言えばのんびりと過ごしたいと思っているかも。爺さんか?!
僕は基本争いごとが嫌いなのだ。綺麗ごとに聞こえるかも。(笑)
でも、もちろん強烈な負けず嫌いではある。
この全く相反する僕の性格がレーサーの資質として合っているかと問われれば恐らくNOだろう。
僕は長年トップカテゴリーで戦う機会をもらえたお陰で、海外で戦う沢山の優秀な選手達を見てきた。
もちろん全てが正しいとは思わないが、そんな僕なりの経験からやはりそのドライバーの伸びしろが何となく分かってしまうのだ。
今の日本の若いドライバー達を見ていても感じることはある。
こんなことを書いて良いのか分からないのだが、僕はそれほどこの仕事が天職だとは思っていない。
もちろんこの職業は僕が心の底からやりたいことだったし、今でもこれに僕は全てを賭けて戦い続けている。
何よりマシンを走らせることは今でも一番楽しい。
今ではレースを楽しめる自分がいることが嬉しいと言っても過言ではない。
僕の私見だがこれだけ色々なレースを経験し、ある程度年齢を重ねてくると純粋にレースを楽しめなくなるものなのだ。
まずはレースに参戦する為の戦いに勝たなければなかったりする。
それだけ世界の舞台で戦うことは難しい。
その為に要する労力は恐らく皆さんの想像を超えるものだと思う。
だがここ数年の僕はむしろその大変ささえもを楽しめるようになってきた。
これは僕にとっては凄い成長だ。
僕が世界で戦うチャンスを得たということは、走るだけしか脳がなかったレーシングドライバー中野信治が恐ろしく難しいパズルを組み立てられるようになったことを意味する。
これが意味するところは大きい。
そんな僕の持つ信念が、世界3大レース全てに日本人として初めて参戦すると言う信じられない経験に導いてくれたのだと思う。
もしこの仕事が僕にとって天職だったとしたら、本当の意味での大きな学びは得られなかっただろう。
天職ではないからこそ、その分僕は他の誰よりも努力をしようと常々思ってきた。
もしかしたら僕はこの職業を通してこの先自分自身のやるべき事柄の為の学びと準備をしているのかもしれない。
恐らくは近い将来それが僕の天職になるのかもしれない。
それはそれは凄い準備だと思う。
これだけの経験をさせてもらったのだ、やはり自分にはやるべきことが必ずあるのだと信じている。
いつかそれもはっきりとした形で目の前に見えてくるだろう。
僕には根拠のない自信がある。
でも自信には常々目に見えない何らかの根拠があるものだ。
今までの僕がそうであったように…。
大切なのは変化を恐れず前に進むこと、そして変わらない信念を持ち続けることだろう。
中野信治