WEC世界耐久選手権 SEASON 2014

My life in the UK

16.
Apr.
2014

久しぶりのイギリスでの生活。
過去3年を過ごしたイギリスだが、この国を訪れるのは'08年以来なので6年ぶりになる。
初めて訪れたのが初々しい18歳の時だったのだが、こうして再びイギリスを訪れている僕は43歳を迎えた立派な大人だ。
あえておじさんと言う言葉は避けたいと思う。
年齢を考えると世の中的には間違いなくおじさんであり中年なのだが、そう考えると本当に老けてしまいそう...。

あの頃と見える景色は変わったのだろうか?
余計な知識が増えた分新鮮さは多少失われているが、それ程変わらない目線で全ての物事が見えているような気もする。
日本国内で僕が生まれ育った大阪に戻る時に感じるそれと大差はないようだ。

My life in the UK

さて、今回僕がイギリスで滞在させて頂くのはチームオーナーであるサイモンのお母様のご自宅なのだ。
なんとも不思議な話だが、サイモンのお母様との2人暮らしが始まる。(笑)
旦那様は3年前に他界されて現在は一人で暮らしているらしい。
どんな生活になるのだろう?!
ベルギーのスパでのレース後に一時帰国するため、それまでの僅かな間だが他人と暮らすということをしたことのない僕が大丈夫なのだろうか…。
実はお母様との同居は渡英前の一番の心配事だったのだが、数日が経過した今、僕は実に快適な生活を送らせて頂いている。良かった(笑)

到着してからは何だかんだと忙しい毎日。
生活のリズムをいち早く掴むために一日のスケジュールをきちんと決めることが重要だ。
朝6時には起床、気持ちいいバッキンガムのカントリーサイドを散歩してから朝食を食べる。
日本では散歩をすることなど皆無だが、何となく散歩の気分になるイギリスの朝。
太陽に照らされた芝生が気持ちいい。
駆られたばかりの芝からは緑の匂いが懐かしい。

My life in the UK

朝食の後はジムにてトレーニングだ。
散歩中に見つけたジムに早速入会してみる。
ここでほぼ毎日4時間近く過ごしている。

ジムのあとは自宅でランチ。
行きつけのマークス&スペンサーでサラダとサンドウィッチ、それにフルーツを買って食べるのが日課。ここのサラダは悪くない。

My life in the UK

夜は軽く自分で作って食べていることが多い。
家の近くにあるインディアンとイタリアンのレストランにも行ってみた。
インディアンの味は言うまでもない、イギリスのインディアンレストランは世界一美味しいと僕は思っている。
ちなみに日本にカレーがやってきたのは明治時代にイギリスからだとか。

それはさておき、何より驚いたのはこちらで食べるイタリアンがちゃんとアルデンテのパスタを出していること!
食べに行ったのがかなりの人気店みたいではあるが、イギリスの田舎で美味しいパスタが食べれるのは意外だった。
昔住んでいたオックスフォードで食べに行っていたイタリアンのうどんのようなパスタに味のないソースがのっかっているパスタがここ数十年僕の記憶からずっと消えなかったのだ。(苦笑)

My life in the UK

午後からは大抵チームでのミーティングが詰まっている。
今回はシートの作成やシミュレーターでのトレーニングも用意されていたので尚更忙しい。
シート作成は大仕事なのだが、この作業を通してメカニック達との距離が一気に近くなる。
大体の場合、チームとの初めての共同作業はシート作りだ。
なので僕はこの時間をとても大切にしている。

この日はマシンがフランス・マニクールでのテストに向けて出発する日でもあった。
チームは大忙しだ。
しかも金曜の夜なので、メカたちはなんとなくそわそわしている。
それぞれのフライデーナイトが待っているのだ。
僕にはサイモンのお母様が待っている!!(笑)

My life in the UK

ドライブシミュレーターも想像以上に良く出来ていた。
ラップタイムもシルバーストーンのLMP2マシンとほぼ同じだ。
2時間みっちり走りこんだら結構慣れた。
チームのもう一台のドライバーのジョンはゲーマーでもある。
このシミュレーターでも相当走りこんでいるらしくかなり上手い。
最後まで彼には勝てなかったが、やはり僕はゲームが苦手なのだろう…。
そういえば映画「RUSH」のイベントでもハント役を演じていたクリスにも負けたなぁ。(笑)
彼もゲーマーらしいけど。

こんな感じであっという間に数日が過ぎた。
いよいよ今日からテストが行われるフランスのマニクールに移動だ。
そこは僕がかつて住んでいた場所でもある。
'97年のF1時代に暮らしていたのがフランスの田舎の中の田舎であるマニクールのホテルだった。
ホテルの周りには本当に牛しかいない?!場所だった。
それでも僕にとっては厳しい戦いの連続だったあの年の唯一の休息の場でもあった。
その話はまた次回。

まずはヒースローに向けて出発だ!

中野信治

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