WEC世界耐久選手権 SEASON 2014

夕暮れのヒースローにて

14.
Apr.
2014

満開の梅が香しく咲き誇り、早咲きの桜が咲き始めるこの季節、遂にこの日がやってきた。
僕がF1ドライバーを夢見てイギリスへ旅立ったのがちょうど今から24年前、僕が18歳の時だった。期待と不安が入り混じった複雑な感情だったと思う。

僕は見た目によらず(?)実に神経質であれこれ考え込んでしまうタイプだ。
もともと心配性の僕は前日から一睡も出来なかったのを覚えている。
家族と離れて暮らすのも初めて、そして飛行機に乗るのも初めてだった。
いいようのない寂しさと、いよいよ世界で戦えると言う大きな期待の相反する想いが体を熱くしていたのも今ではいい思い出だ。

これがずっと僕が望んでいたことだった。
絶対にF1ドライバーになる。
当時の僕はそう決めていたのだ。
もちろん何の根拠もない。
それでも、「なりたい」のではない、「なる」と決めていたのだ。

F1ドライバーになるには少しでも早くに海外でレースを戦うことを覚えなければならない。
当時イギリスでレースを戦うことがF1に向けてのステップアップへの一番の近道であり、王道でもあった。
それだけに世界中からF1を目指す若い優秀な選手たちが大挙してここイギリスへ押し寄せてくる。
当時は同じくF1を目指す僕と同年代のデビッド・クルサードやルーベンス・バリチェロ、後にチャンプカーのチャンピオンになったジル・ド・フェラン達も共に凌ぎを削っていた。
この若かりし日のイギリスでの2年間で僕は本当に多くのことを学んだと思う。

そしてこの日から8年後の97年、僕は密かにあの頃心の中で決めていたF1サーカスの一員として再びイギリスに戻ることになったのだ!
正確にはイギリスではなくフランスだったのだが…。
これが僕のF1でのキャリアを難しいものにしたことも今ではまたいい思い出かな。
今ではこのフランスにも2005年から参戦を開始したルマン24によって大きなつながりが出来ている。
1997年のあの一年以来なかなか好きになれなかったフランスだが、今では僕が最も好きな国の一つになっている。
人生とは実に奥が深く、厳しくも面白いものだ。

そして今日僕は再び夕暮れ時を迎えたヒースロー空港に立っている。
目的地はシルバーストーンだ。
僕の海外での初PP、初優勝はここシルバーストーンだった。
言わずもがな、僕にとっては非常に思い出深い場所でもある。
今年共に戦うことになったミレニアムレーシングをオペレートするDELTA-ADRの本拠地がシルバーストーンなのだ。

今年43歳を迎える僕がこうして再びレーシングドライバーとしてイギリスに戻ることが出来た。
世界耐久選手権という大舞台を戦うためだ。

あれから24年、あの時と何も変わらない僕がここにいる。
変化することの大切さを学んできたここ数年、それでもあの頃と変わらない自分自身を少し微笑ましく思ってしまうのは何故だろう…。

ヒースロー空港へ飛行機は2時間遅れで到着した。
今回も飛行機では殆ど寝ていない。
ゲートにはチームオーナーのサイモンが迎えに来てくれているはずだ。
彼とは昨年から今年のレース参戦に向けて激しい交渉を続けてきた。
どんな顔で出迎えてくれるだろうか?しかも飛行機は相当遅れている。

ゲートを抜けると笑顔をこちらに向けているサイモンがいる。
よし!!

夕暮れのヒースローにて

中野信治

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