決勝日の朝は5時に起床。朝のウォームアップ走行が7:55からスタートするため、いつもより早めの目覚めだ。ホテルの窓から見える空はどんよりと曇っている。
(雨が降らないといいな・・・。)
今日は僕を支援、応援してくださっている沢山の仲間たちがサーキットまで足を運んでくれているはずだ。多くのファンの方達も来てくれているだろう。まだ10月の半ばだとはいえ雨が降ると寒くなる。そんな皆のためにも天気は持って欲しい・・・。
決勝レースは11時スタート。
久しぶりに世界選手権が富士で開催されること、トヨタのハイブリッドエンジンでの参戦、日本人歴代の元F1ドライバーが3人も参加することも話題となり、予想以上に多くの観客がサーキットのスタンドを埋め尽くしている。レース前のサイン会ではどのチームにも長蛇の列ができていた。
盛り上がりは最高潮である。
スタート30分前、コースの向こうには富士山がその顔を出した。天気は大丈夫そうだ。
このレースは6時間耐久レース。
ルマン24時間ほどではないが、レース中には色々なことが起こるだろう。突発的に起こる出来事にどう対処出来るか、またどれだけアクシデントに対する準備が出来ているか、実に様々な事が起こるのはまさに人生と同じかもしれない。
毎年6月にフランスで行われるルマン24時間ではさらに強くそのように感じるのだが、この耐久レースという のは人生の縮図のようだ。驚くほどに色々な物事が凝縮され、そこでは「組織力」、ひいては「人間力」が試される。僕がこれまでに経験してきたF1やINDYですら得られなかった大切な何かがそこにあると感じている。
いよいよスタートだ。
我がチームADRデルタの準備は全て整っている。スタートドライバーは予選を戦ったジョンだ。
彼が1スティントを走り、1回目のピットの際に僕へとドライバーを交代する予定だ。
ジョンは無難にスタートを決め2番手でオープニングラップを終える。そして先頭を走る ロータスのマシンを操るリウィッツィとトップ争いを展開。このドライバーは少し前までF1を 戦っていたドライバー。F1時代からその活きのいい走りには定評があったイタリア人、彼の速さは折り紙つきだ。
本命ホンダはスタートで3番手に後退したが、虎視眈々と後方からトップをうかがっている。このマシンをドライブするフランス人のサラザンも元F1ドライバーだ。その走りには余裕すら伺える。
レースは6時間、先は長い。焦りは禁物なのである。
10周を過ぎた辺りからトップを走るリウィッツィのラップタイムが落ち始める。ピットで映像を見ているとマシンのスライドが大きくタイヤが厳しそうだ。ほぼ全チームが同じ種類のタイヤを選択、使用しているはずだから、速さを優先させるあまりマシンのセットアップをアグレッシブに攻めすぎたのだろう。この辺りがイタリア人らしいと感じる・・・。
残り10数周くらいのタイミングだろうか。ジョンがリウィッツィの攻略に成功、ついに我々のチームがトップに躍り出る!
3番手を走行していたホンダのサラザンもすかさず2番手に浮上する。下馬評通りの速さで緊迫したトップ争いを展開する2台・・・。
ジョンは見事にトップの座を守り切り最初のピットストップへと向かう。ここで給油とタイヤ交換、そしてドライバー交代を行う。
僕の出番だ!
無論嬉しいことには違いないのだが、この大舞台富士にてトップでバトンを受けることになるとは・・・。
出来過ぎだ(苦笑)。これは言うまでもなく責任重大である。
この緊張感を最大限の集中力へと変えなければならない。
久しぶりのレースにも関わらず、いきなりトップでピットアウトか・・・。
思いきり楽しもう!もうここまできたらやるしかない。
僕に課せられたタスクはトップを守り抜くこと。ピットアウト直後、1コーナーに進入する際にピットンを先に済ませていたホンダのマシンと交錯。いきなりトップ争いの攻防だ。まだこっちは体も温まっていないのに・・。
それでも先にピットストップを終えてスピードに乗っている44号車の攻撃を何とか凌ぎ2周目に入る。3周目に入るとミラーに写る44号車のマシンが若干小さくなって見える。
どうやらこちらのペースの方が速そうだ。
チームからの無線で後続のマシンとの差が広がっていることを伝えられる。少しだけ気が楽になるが、ここからはどこまで後続とのギャップを広げる事が出来るかが重要になってくる。
僕が多くのギャップを作れれば、トーにドライバーを交代した際に彼が余裕を持ってドライビングに集中できる。これは勝敗を分ける鍵になるだろう。
順調に後続との差を広げ1回目のピットストップに向かう。今回の1スティントは32周。ガソリンが満タンから空になるまでに32周走れるという事だ。
ピット作業は完璧。
チームのメカニック達もいい仕事をしてくれている。みんながいい集中力でそれぞれの役割を果たす。
2スティント目も順調に周回を重ねる事が出来、2回目のピットに戻る。後続との差は50秒近い。トーが十分にトップをキープし続けられるだけのギャップは築けた。ここから約1スティント半のドライブをトーに託す。彼がトップを守りきれれば、後はジョンがトップでマシンをゴールまで運んでくれるだろう。
これで僕の全てのスティントは終了。
やれるだけのことはやった。
全てのラップをミスすることなく、ほぼ完璧に走り切る事が出来た。少しの安堵感とまだまだ続く緊張感・・・。
レースはまだ半分残っている。今度はモニターを通してチームメイト達の走りを祈るように見つめる番だ。
トーのラップタイムは安定している。素晴らしい走り、いい集中力だ。週末を通して一番いい走りをしている。
ところがここまで順調にレースは進んでいたのだが、アクシデントによる突然のセーフティーカー!
2本の黄旗が振られ全車がセーフティーカーに先導されゆっくりとコースを周回する。これで僕が築き上げた後続とのギャップは一気に無くなってしまう。
チームにも緊張が走った。すべてはこの後のトーの走りにかかっている。
レース再開後、確実に差は詰められてしまったがトーのラップタイムは安定していてなんとか順位を死守している。そしてトーが1回目のピットストップを終えて2スティント目に入る。
ここからがこのレースの最大の山場だ。
この2スティント目を彼は20周だけ走る。このレースには同一ドライバーによる最大と最小のドライビング継続時間が定められている。
そのミニマムが1スティント×20周なのだ。時間にすると1時間20分くら いだろうか。チームとしてはタイムロスを最小限に抑えたいため、トーのラップ数をミニマムに設定した上で6時間トータルの作戦を立てている。
この2スティント目の20周で、後続を走るマシンがトーに急接近。
30秒、20秒・・・。
周回を重ねるごとにタイム差がどんどん縮まっていく。ドライバー交代までの時間が永遠にも感じられる。あと10周、あと5周・・・。ピットではチーム全員が祈るような気持ちでモニターを見つめていた。
最後は残り1秒差までその差を縮められるが、トーはそれでもぎりぎりトップを死守し最後のドライバーであるジョンに交代。
勝利への望みをつないだ!!Good job!
プレッシャーを感じながらも順位を守り切ったトーの集中力溢れる走りに心からありがとうと言いたい。忘れてはいけない。彼はこの週末とても厳しい時間を乗り越えてきているのだ。
そしてこのトーからジョンへの交代の際のピットストップがスリリングだった。このピットで我々はドライバー交代とタイヤ交換を4本行った。
それに対して僅差で2番手を走るホンダの44号車はタイヤ交換を2本だけで終らせたのだ。これは大きな賭けである。
タイヤ交換を2本に抑える事で、約10数秒程ピットストップを短かくする事が出来る。しかし2本交換だと、4本交換に比べてマシンのバランスが崩れる可能性もありラップタイムが1周につきコンマ数秒から1秒程遅くなる可能性もある。44号車の作戦ではピットで我々を逆転してトップを奪い、そのまま最後まで抑え込めると考えたのだろう。
44号車の最後のバトンを託されたのはエースであるサラザン!
だがこの44号車の作戦は失敗に終る。ピット作業のミスなのだろうか、またしても僅差のところで我々からトップを奪う事は出来なかった。
彼らは優勝を賭けたギャンブルに負けたのだ。
こうなれば我々のジョンの独壇場である。4本交換を行った彼は夕方の涼しくなった富士のサーキットをハイペースで周回し、後続との差を一気に広げにかかる。あとはトラブルが起こらない事だけを祈るだけだ。
残り数分、ピットには今回富士まで僕の応援のために足を運んで下さっている皆さんが集ってくれている。
皆の願いは唯一つ。
このまま無事にチェッカーを受けてくれ!
そして迎えた最高の瞬間・・・。
チーム、そして僕を応援して下さっている全ての方達の心が一つになる瞬間がきた。この瞬間をずっと待っていた・・・。
皆の顔が笑顔で崩れている。
ずっと僕がイメージしていた瞬間だ。
張り詰めていたものが開放され、仲間たちの笑顔を見た瞬間に涙が出そうになる。
でも涙を見せるのはまだ早い。
まだ早いのだ・・・。
日がすっかりと暮れてしまった富士スピードウェイの表彰台の上からは皆の笑顔が見える。
メカニック達も今回応援に来てくれていた仲間たちも家族も・・・みんながそこにいてくれている。
そう、これがルマン24の後ずっと僕が頭に描き続けていた映像だ。
信じられない。これは現実なのだ・・・。
今回のWEC富士参戦にあたり、多くの方達にご支援を頂きました。交渉の段階では 参戦を実現させるのは非常に難しいと思われた今回の日本でのレースでしたが、逆転につぐ逆転で形にする事が出来ました。
チームに初めて会ってからたった6日間で全ての準備を整え、信頼関係を築き、勝利を手にすることは果てしない挑戦のように思えました。のしかかるプレッシャーの中で手に入れた今回の富士での勝利は、僕を応援して下さる全ての皆さんの力で勝ち取ったものだと思っております。
ただ、ただ皆さんへの感謝の一言に尽きます。
全てはずっと人のご縁を大切に紡いできた結果だと信じたい・・・。
この場をお借りしまして、全ての皆様に改めて御礼を申し上げたいと思います。
本当に、本当に有難うございました。
この戦いが来年のルマン24での勝利に繋がると信じて・・・。
中野信治