Raca

アジアンルマンシリーズ富士を終えて~

アジアンルマンへの参戦が急遽決定したのが9月の第2週に入ってから。
いつもながらのぎりぎりの参戦決定だ。

今回は以前から(一緒にレースをやろうよ)とお声をかけてくださっていたチームタイサンのオーナー、リッキー・チバさんよりオファーを頂いたのがきっかけだった。
アジアンルマンと言えば、2009年に岡山国際サーキットで行われたレースが記憶にある。
僕はこの時もLMP1クラスにぺスカローロから急遽参戦が決まり、慌しくサーキットに向かったのが懐かしい。
ちなみにぶっつけ本番で参戦したこのレースでは優勝することができた。

今回は僕の中で殆ど未知の世界と言ってもいい市販車ベースのレーシングカー、いわゆる「箱車」でGTEクラスへの参戦だ。

アジアンルマンシリーズ富士を終えて~

一応2004年にNSXでGTに参戦した経験はあるのだが、このマシンは箱というよりはフォーミュラに少し近い感じのマシンだった。
この年のNSXは新型エンジンを投入したことによりマシンのバランスを崩し、ホンダGT史上最も苦しいともいえるシーズンを送ることになったのは僕にとっては少々残念な思い出だ。
よりによってこんなタイミングで…。それも何とも僕らしいと言えば僕らしい、かな?

言い訳はこれくらいにしておいて…この年は久しぶりの日本のサーキット、生まれて初めての箱車のレースに僕自身がてこずったこともあり、箱のマシンにはあまりいいイメージがない…。(苦笑)
そんなこともあり、今回お声がけを頂いたものの少々二の足を踏んでいた…のも事実。
チームにご迷惑をかけてもいけないので…。と思いきや僕の参戦するクラスには1台しかいないとの事。
それならせっかくのお誘いなので有難くお受けすることにしようとなった訳であります。

アジアンルマンシリーズ富士を終えて~

実はそんな決断をした直後にこのアジアンルマンに参戦するLMP2のクラスからもオファーを頂くことになり、正直心が揺れたがやはり一度Yesと言えばそれを守るのが日本人なのです。

LMP2クラスと言えば僕が今年ルマン24時間耐久を戦っているクラスだ。
しかもオファーをもらったチーム、マシンは今年のルマン24で1位と2位を獲得したものでもある。

来月のWEC参戦のことを考えると今回のレースをLMP2クラスのマシンで戦うことは本番に向けての貴重な練習にもなるのだ。
僕のように年に一回か二回しかレースに出ていない場合、これがかなり大きなチャンスなのは間違いない。

それより何より年に一度かそこらのレーシングマシンのドライブでこの大舞台に戦いを挑もうと言うのも尋常ではないのかもしれない。
しかもいい年して…。でもそれが今の僕のスタイルであり、戦い方なのだ。

ずっと走り続けていれば、ある程度速く走れるのは当然だろう。
僕のキャリアを考えると速くて当たり前、遅いとやっぱり遅いと言われて終わりだ。
それは仕方ない。
でもここ数年僕は世界で戦っているチームメートというチームメートには殆ど負けたことがない。
嘘のようで本当の話だ。(笑)
非常に厳しい状況の中で戦うことになったF1初年度以外では、意外なことに最後は必ず僕が速くなっていたりする。
ただ僕には爆発的な速さはない。それは自他共に認めているところ。(苦笑)
今思えばあの経験が今の僕の強さを育てたと言ってもいい。
あの苦しかった1997年以来、僕はその弱点をどう埋められるかをずっと考え続けてきたのだ。

そして身に付ける事が出来たのが、パズルを上手に組み立てる能力。
とは言ってもそんな大袈裟なものではない。
これは僕のチームメートになった人間にしか分からないだろう。
そしてこれこそが、僕がしつこくも世界の大舞台で戦い続けられている大きな理由なのかもしれない。
もちろんこれは一朝一夕で身に付けたものではない。
僕は自分の持てる時間を誰よりも多くそのために使ってきた自信がある。
それだけは絶対に負けない自信があるのだ。

そして42歳になった今も普段の食事からトレーニングに至るまでを完全にコントロールし続けている。
レースを数多くこなすわけではない中でこれを続けることはなかなかに難しい。
モチベーションは目先の目標があってこそ強く湧いてくるものなのだ。
ここ数年の僕には年に一度のレースしかない。
でもそんなことは関係ないのだ。
人間は本当に心の底から自分が望んだところにしか辿り着けない。
結局はその人がどこを見ているのか。
その答えは実に明確であり嘘はない。

アジアンルマンシリーズ富士を終えて~

どんなに忙しくても、僕は絶対に日々のトレーニングを欠かさない。
そのおかげで僕の体型はここ20年以上殆ど変わっていない。体重もそのままだ。
顔は少々老けてきているかもしれないが・・・。(笑)
まぁ、それは味が出てきていると言うことで。
42歳と言えば、結構いいおじさんの年齢なので仕方ないですよね。

また文章が長くなっている…。

そんなことで今回のアジアンルマン第2戦への参戦が決定!

初めての純粋な箱車の感想は…?

初日乗った時は正直驚いた。
車は重い、止まらない、曲がらない…。
コーナリング中なんかは、これでもかと言うほどロールしてくれるのだ。
こんなことを書くと失礼なのかもしれないが、フォーミュラのマシンに比べると本当にバスに揺られているようにさえ感じる。

初日はおっかなびっくりで終了。
残念ながら今回は走る時間もあまりないのが現状だ。
初日が30分。2日目の走行時間も30分にも満たない。

こんな時に大切なのがパズルを組み立てる能力だ。
結果には必ず理由が存在するのだ。
そのためすでに昨日からイタリアより派遣されているエンジニアと延々ミーティングを続けている。
僕はこのミーティングでマシンの特性を理解するべくマシンのセットアップの癖みたいなものを探す。
これによりこのマシンの走らせ方も見えてくるはずだ。
僕は常に誰よりも長い時間エンジニアとのミーティングを続けるドライバーだ。
今回の相手はイタリア人。それは僕にとってはむしろやり易い。
英語とイタリア語は僕も多少心得があるので彼との距離もあっという間に近くなる。
短い時間でどれだけの情報量を手にする事が出来るか、そしてその過程でどれだけチームとの距離を縮めることが出来るかが重要なのだ。

アジアンルマンシリーズ富士を終えて~

特に海外のレースにおいて、勝負はコース上だけではない。
日本のように決まった同じコースを1年を通して走り続けるレースは海外ではほとんどない。
しかも日本ではじっくりとテスト走行も出来る。
それが出来ない海外ではレース以外にも色々な部分でのスピードが必要なのだ。
そのために必要なのがコミュニケーション能力であり、素早くパズルを組み立てる能力なのだろう。
僕がかつて同じレースを戦っていた中でこの部分がずば抜けていたのがミハエル・シューマッハだった。
そして日本人が最も弱いのがこの最も重要な部分なのかもしれない。
運転の技術だけではないのだ。
どんなマシンでも完璧に乗りこなせるドライバーなどいない。
だからこそ、自分の運転スタイルに合ったマシンをいかにして手に入れることが出来るかが勝負なのだ。

それを流行の言葉で表すと、人間力ということになるのだろう。
レース界の頂点とも言われるF1の世界には日本人の苦手な要素が山のように詰まっていると言っていい。
もっと言えば最も苦手な競争の世界ではないだろうか。
だからこそ、向こうに行ってから学ぶのでは遅いのだ。
あそこは学びにいく場所ではない。戦いに行く場所なのだ。

1997年、僕はそこに初めて飛び込み、本当に数多くのことを経験した。
だからこそ、それを若い世代のドライバー達に伝えたいと思っているのだが・・・。

また話がそれてしまった。

2日目には公式走行が始まった。
何となく車の重さにも慣れてきた。

そして3日目。この日は予選日。
予選前の最後の公式走行では10分ほど走ることが出来た。
これでレースまでの走行は全て終了だ。
この走行で僕はかなりマシンの感覚を掴むことが出来たと思う。
僕のイメージとマシンの動きが一致し始めたように感じる。
タイム的にも2人のチームメートと遜色ないものになっている。

決勝までには何とか帳尻を合わせられそうだ。
始めはどうなることかと思ったけれど…。(苦笑)

予選は箱のスペシャリストと言ってもいい大ベテランの飯田章選手が担当しアタックを終了。
もう一人のチームメートである密山祥吾選手も箱での経験が豊富な実力派ドライバー。
今回はこの2人の箱のスペシャリストのお陰で僕の習熟速度が上がったのも事実。
耐久レースの場合、いいチームメートと仕事が出来ることは、良き伴侶と巡りあえるのと同じくらい感動的なことだ。

アジアンルマンシリーズ富士を終えて~

そして今回お声がけ頂いたチームタイサンのオーナーであるリッキー・チバさんはとってもパッショネイトな人物。
外国人も一目おくユニークなキャラクターは日本のレース界にはなくてはならない存在だ。

アジアンルマンシリーズ富士を終えて~

迎えた決勝当日も素晴らしい天候に恵まれている。
今週末はずっと気持ちのいい天気だ。

今回のレース、我々に課せられたタスクはマシンをゴールまで確実に運ぶこと。
完走すれば優勝なのだ。

決勝は3時間耐久レース。
3時間とはいえ色々なことが起こりえる。
レースは総合力が問われるスポーツ。
マシントラブルにドライバーのミスによるクラッシュ、耐久レースにおいては他車との接触も十分に起こりえる。
完走と一言で言うのは簡単だが、やっている方は毎回ひやひやなのだ。

スタートは飯田選手が担当。

アジアンルマンシリーズ富士を終えて~

順調に周回を重ねていたが、スタートからしばらく経過したところでライバルのマシンに体当たりされて危うく大クラッシュという場面に遭遇したようだ。
しかしベテランの味でこれを何とか無事に回避し予定通り1時間のパートを終了。

2番手には密山選手がバトンを受け取り走行を開始。
確実にラップを重ねる。ラップタイムも悪くない。
飯田選手とほぼ同じくらいのラップだろうか。
他のマシンとの比較が出来ないため、チームメートとのタイム差で自らの状況を判断するよりほかに方法がない。

レギュレーションにより今回我々が走らせているフェラーリ458GTと日本のGT300ではストレートだけでも10-15km/hの速度差がある。
下のクラスであるGT300の方が速いのだ。
正直なところこれでは面白くない…。
それでも我々はやるべきことをやらなければならない。

密山選手も無事にパートを終了。
残り1時間を切ったところでいよいよ僕の出番だ。
タイヤウォーマーを使っていないタイヤでのレースなんて何年振りだろう?
そして今回初のニュータイヤでもある。(笑)
そして、初めてのフルタンク。
初めて尽しの週末だ。
そういえば何気にフェラーリでのレースなんて貴重な経験かもしれない。

アジアンルマンシリーズ富士を終えて~

さて肝心の僕の走りだが、意外に順調に走れていたと思う。
数ラップでペースも掴むことが出来て、ラップタイムも順調に削られていく。
それぞれ走っている条件が違うので単純比較は出来ないのだが、このレース中のベストタイムは僕のパートで記録することが出来た。
そして結果は無事完走、表彰台の真ん中を飾ることとなった。

アジアンルマンシリーズ富士を終えて~

同じチーム内でレース中のタイムの比較などあまり意味をなさないのだが、それでもこの週末を通して短かい時間の中で箱の先輩2人と同じレベルまで自分の走りを持っていけたことは個人的に大きな意味があると考えている。

この先また箱の車でレースをするチャンスが来るかどうかは別として、今回こうして新しいチャレンジが出来たことに嬉しい驚きと感謝の気持ちで一杯だ。

アジアンルマンシリーズ富士を終えて~

この年になってまた新しいチャレンジというのも面白い。
何より自分が驚いている。

それもやはり今回声をかけて下さったリッキー・チバさんのお陰だ。
彼のアグレッシブなお誘いが無ければ、僕は箱車に対してこの重い腰を上げることもなかっただろう。
あるいはLMP2クラスのマシンにて参戦していたかもしれない。

でも僕がこの年になって改めて考えたのは、普通にプラスマイナスを考えるよりも大切なことがあるな、ということ。

今の僕にとってはこの学びがキーワード。
今だけではない、今までも、そしてこれからもずっとだ。

僕は物事のチョイスにおいて簡単そうなものと少々難しそうなものがあれば、絶対に後者を選択したいと常々思っている。

僕がもうずっと続けている世界の舞台での挑戦もそうだ。
理由は簡単。
一人の人間として、今の僕にはそこからの方がより多くの学びを得られると信じているから…。

これからも僕はそんな生き方をしたいと思う。

拝謝
中野信治

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