時計の針が午後3時を差し、いよいよ長い長い24時間のスタートだ!
スタートを担当する大津選手は、F3やGT300クラスでも活躍している若手期待のドライバーだ。そのドライビングも安定感があり、開幕からの2レースで実力の程は証明済み。我々も安心して彼にスタートドライバーを任せることが出来る。
我々の基本的な作戦は、1人のドライバーが1時間の1スティントを担当、ガソリン給油のタイミングでドライバーを交代するというもの。
ダブルスティントも考えてみたのだが、ドライバーの集中力を最大限にキープ出来る時間には限りがあるため、ほんの少しでもリスクと感じられる部分は全て消していく作戦だ。
今回の24時間はチーム、ドライバーがどれだけミスを減らせられるかが非常に重要なポイントとなる。
大津選手の走りは安定しており、ペースも想定通りのものだ。
24時間をトラブルなく走り切るために設定した走らせ方を実行していることもあり、他のプッシュしているマシンに比べるとペースが若干遅いのは仕方ない。
あくまで24時間先を見て、今の走りに集中しなければならないのだ。
限界までプッシュして速く走りたいというドライバーの習性から考えると、敢えてペースをコントロールしながら走るのは結構ストレスが溜まることになる。
この辺りのメンタルコントロールも非常に重要だ。
大津選手からバトンを受け取るのは植松選手。
そして3番目に私がバトンを受け継ぐ予定になっている。
ドライバー交代を終えてピットアウトした植松選手から無線が入ってくる。
どうやらエンジンが綺麗に吹けないようだ。
ピットアウト直後に起こるこの問題は、このレースウィークが始まってから何度か発生していたものなので、その対処法を事前にミーティングしておいたのは運が良かった。
この問題はレースウィークに入って私しか経験していなかったこともあり、レースで同じ問題が起こることを懸念して事前に対処方法を皆で共有すべく話し合っていたのだ。転ばぬ先の杖である。
この問題をリセットするためには少しばかりの時間が必要となるため、タイムロスは少なくないのだが、それでも1周ほどのラップを失っただけで再び戦列に復帰すること出来た。
まだまだ先は長い……。
そこからの植松選手のドライビングも安定していて、大きなミスなくルーティンのドライバー交代のためピットへとマシンを滑り込ませる。
予定通りここで私の出番だ。
50kgのウェイトが積まれ、ガソリンが満タン状態でのマシンの動きはどうなのか?!
走り始めは少しバランスを取るのに苦労するのだが、タイヤのピックアップが取れて、少しガスが軽くなってからのバランスは悪くない。
ただ気温が思ったより高いこともあり、タイヤへの負担は厳しいように思える。
この辺りは走り方でカバーするしかないだろう。
他にもギヤボックスやサスペンションアームなどへの衝撃を少しでも和らげるべく、ドライビングを24時間用に変更している。
この変更は1周のラップタイムを考えると明らかにタイムを失うことになるのだが、24時間先をイメージした時に必ず生きてくるはずだ。
まず最初の1時間を終えた感想としては、この週末富士に入ってからこの決勝に向けてチームと共に作り上げてきたマシンセットは正しい方向だということだろうか。
ここから再び大津選手へとステアリングを託すのだが、ここからは徐々に陽が西に傾き始め夜の帳が下りてくる。いよいよ24時間耐久レースにおいて、最も難しい時間帯での走行へと突入していく。
ここからはちょっとしたミスが命取りになる。
速度差のあるマシンとの間隔の取り方やオーバーテイクのタイミング等々、夜の走行では昼のそれとは全く異なったものに変化することが多々出てくるのだ。
そんな難しい状況の中、大津選手は安定した走行を見せて、この日初登場となる小林崇志選手へとドライバー交代。
小林選手の走りも実に安定していて、ペースも我々が想定したところできっちりと合わせることが出来ている。このペースで走れていれば問題はない。
この時点でトップを走るのは飛ばしに飛ばしている10号車のフォルクスワーゲンだが、このペースで最後まで走り続けることが出来るのだろうか。
そして2番手には65号車のアウディがつけている。我々97号車は3番手だ。
小林選手の後には、この日2度目となる私の出番が待っている。
夜の走行に関しては、過去に何度もルマン24時間耐久で経験していることから不安はない。
この頃には気温もぐっと下がり、同時に路面温度も下がり始めている。
日中気温の高い状況では若干アンダーステアに苦しんでいたのだが、下がり始めた路温のお蔭でマシンバランスは大きく改善されている。
トラブルもなく気持ちのいい1時間のナイトセッションを走り切り、ルーティンのピットへと戻る。
ここで再び大津選手へとドライバー交代なのだが、その前に予定通りこのタイミングでブレーキの交換を行うことになっている。
今回の24時間ではレギュレーションで2度の8分間のピットストップが義務付けられている。この時間を利用して消耗の激しいブレーキを交換するのだ。
ピットストップを義務化することで、時間のかかるブレーキ交換無しで最後まで走るチームが出てくるのを防ぐことが狙いだ。
24時間ブレーキを無交換で行うことはリスクが伴うためである。
メカニック達の素早い作業により、時間内で無事ブレーキを交換し再び戦列へと復帰するのだが、なんとここでトラブルが発生してしまう!
無線からはエンジンが吹き上がらないとの内容が聞こえてくる。
再び同じ問題の可能性があることから、事前に話していた方法での対処を試みるのだが症状は改善しないようだ……。
ピットではメカニックとエンジニア達が慌ただしく原因の究明のための話し合いを行っている。マシンは殆ど走れない状況になってしまっているようで、コースサイドの安全な場所に停車してピットからの指示を待っている……。
どれくらいの時間が経過しただろうか。
イタリアからこのレースのために駆けつけているJASのエンジニアが、問題の原因となっている可能性がある部分をメカニックに伝えてきた。
その内容をドライバーである大津選手に無線で伝え試してもらうことに。
この対処法によりどうやら無事にエンジンが再始動したようだ。
原因はレース後に特定するとしてまずは良かった……。
これで更に1周から2周ほどのタイムロスとなってしまったのだが、まだまだ先は長い。
問題が解決してからの大津選手の走りは実に安定しており、事前に話し合っていた通りのドライビングで綺麗にラップを刻んでいる。
1周のラップタイムではなく、ひたすら24時間のゴール地点をイメージした走りに徹しなければならない。
2スティント、約2時間の走行を無事に終えて大津選手がピットへと戻ってくる。
この夜間走行ではやはりドラマが起きていた。
トップを快調に走り続けていた10号車のフォルクスワーゲンが接触を起こし、まさかのリタイヤとなったのだ。
同様に飛ばしに飛ばしていた65号車のアウディもトラブルなのだろうか、順位を落としている。
この段階で我々97号車のマシンがついにトップへと躍り出たのだ!
大津選手からバトンを引き継いだ植松選手は、走り初めの冷えた路面とタイヤでスピンを喫してしまうのだが、すぐに態勢を立て直して戦列へと復帰することが出来たようだ。無線から声が聞こえてくるたびに心拍数が上がってしまうのは私だけではないだろう。
ところがこの直後にマシントラブルが発生してしまう。
無線からは駆動がかからないと悲痛な声が聞こえてくる。マシンが前へ進んでくれないようだ。こうなってはマシンを止めるしかない。
万事休す、か……。
タイヤのトラブル?駆動系?それともサスペンショントラブルなのか。
ピット内では状況が分からず、誰もが固唾を飲んで状況を見守っている。
マシンから降りて状況を確認した植松選手から再び無線が入ってきた。
駆動系の問題ではないかとのことだったが、まだはっきりとした原因を究明することが出来ていない。
マシンの状況を外側から確認するべく、メカニック達が現場へと向かっている。
刻一刻と時間だけが過ぎていくのだが、我々にはどうすることも出来ない。
このレースのレギュレーションでは、走行不可能になったマシンをレスキューの車によりマシンをピットエントランス付近まで戻すことが出来るというものがある。もしそこでマシンの修復が可能であれば、修復後に再びレースへと復帰出来るのだ。
これはルマン24にはないレギュレーションだが、こうして不慮のアクシデントに遭遇してしまったチームにとっては有難いルールだ。
現場に到着したメカニックからの情報ではどうやら修復が可能だとのこと。
マシンがレスキューのトラックに積み込まれピット入り口へと戻ってくると同時に、修復のための作業が始まった。
そしてついにメカニック達の迅速な作業によりマシンは動ける状態にまで復帰することが出来、一旦ピットへと戻った。
そしてこの後もう一度マシンの状況を確認してレースへと復帰することが出来たのは、不幸中の幸いといって良いだろう。
こんな時に経験豊かな童夢のチーム力がいかんなく発揮される。
順位は4位辺りまで下がってしまうが、それでもまだレースは6時間以上残っている。ここからはミスを犯さないチームが最後に笑うことになるだろう。
繰り返すのだが、このレースは本当に色々なことが起こる。
必ず起こるのだ。
少し大げさかもしれないのだが、これは少し人生にも似ていて、24時間耐久レースは人生の縮図といっても過言ではないとさえ感じている。
それは自身が過去9回、11年の長きに渡りルマン24時間耐久レースに参戦してきて強く感じたことだ。こういった目に見えない深い部分に惹かれることで、私もこのレースの魅力に取りつかれた一人なのかもしれない。
ここからの97号車のチーム、そしてドライバー達は強かった。
誰ひとりミスを犯すことなく、ペースを乱すことなく、淡々と確実にマシンをゴールへと近づけている。
こうして夜が明けて、私もこの24時間最後のスティントを無事に走り終えることが出来た。マシンに大きな問題は見当たらない。
この時間帯はチームのメカニック達の疲労もピークにきているはずだ。
メカニックをはじめ、チーム全てのチーム関係者がこの長い長い24時間を共に戦っている。
レース終盤に差し掛かり、一時はトラブルで落ちてしまった順位も3番手まで回復することが出来ている。
トップを走る75号車のアウディはペースこそ決して速くはないのだが、限りなくノートラブルに近い走りを見せていたこともあり、2番手以下に大きなリードを築いてのトップを独走中だ。
正に我々がやりたかった戦略であったのだが……。
トップとの差は如何ともしがたいのだが、2番手を走る19号車のアウディは手が届くところにいる。
ペース的にも我々の方が速く、2番手に上がるのは時間の問題だ!
ずっとマシンを労りながら走り続けてきたこともあり、レース後半に向けてマシンの状況には全く問題がない。
レースも残り1時間を切ったところで、最後のスティントを担当する大津選手に植松選手がステアリングを託す。
今回最も多く周回を重ねて頑張っていた大津選手にチェッカーを受けてもらうのは、チームからのちょっとしたプレゼントだ。
この時点で我々97号車は2番手へと順位を上げている。
トップを走るアウディのマシンとは大きな差が開いてしまっているため追うことは出来ない。ここからは確実にマシンをチェッカーまで運ぶだけだ。
ピットではチームメンバー全員が残り時間が表示されたモニターを見つめている。
残り1分が表示されたと同時に、ドライバー、メカニック達がピットレーンへと集まってくる。
そしてついに24時間のチェッカーが振られ、ゴール!
24時間という圧倒的な長時間の戦いを、我々は完走2位で締めくくった!
メインストレートへ戻ってくる大津選手をガッツポーズで出迎える皆の顔には、最高の笑顔が溢れている。
この瞬間のために、チームに関わる全てのスタッフ達が頑張り続けた24時間だった。限界近くまで追い込まれた後に訪れる解放感と達成感は、とてつもなく清々しいものとなるのだ。
普段の生活において、24時間という時間を意識することは、よほどの事情がない限りそうそうないだろう。ほとんどの場合は日々の日常として、気が付けば24時間が過ぎてしまっていることの方が多いのではないだろうか。
私は長いヨーロッパ生活の中で、「究極の静と動」の時間を繰り返し経験してきたことで、時間の流れるスピードがいかに自らの意識によって変化するものなのかを体感してきた。
そして2005年から参戦をスタートさせたフランスの本家ルマン24時間耐久レースを経験してからは、更に時間の概念の本質のようなものを意識するようになった。
こうした少し特殊にも思える究極の時間を繰り返し経験することで、改めて時間の大切さを感じることが出来た。
そしてこれは長いようで短く、そして短いようで長い自らの人生においても、今後大きな意味を持ってくるだろうと感じている。
今回の24時間で、50kgのハンデウェイトを抱えながらも2位を獲得することが出来たのは大きい。
ポイントが2倍となる24時間耐久レースということもあり、チャンピオンシップを考えた上でも、我々にとっては価値ある2位表彰台となった。
この結果はチーム全員の力で手に入れることが出来た最高のプレゼントだと思っている。
改めてモデューロホンダプロジェクトに携わる全ての関係各位に感謝を申し上げたい。
笑顔でレースを終えられること、そしてその笑顔を沢山のホンダファンの方々に伝播することがこのプロジェクトの最大の目的なのだ。
そして最後に当初難しいと思われていた富士スピードウェイでの24時間耐久レース開催を実現してくださったスーパー耐久機構の関係各位にも、改めて御礼を申し上げたい。
このレースが今回富士を訪れて下さった沢山のレースファンの方々と共に、日本でも根付いて行ってくれることを祈りつつ筆を置こう。
私がこのレポートを完成させるまでに要した時間がちょうど24時間くらいになるだろうか。
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうものだ……。
中野信治