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2015アジアンルマンシリーズ富士を終えて(2)

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公式走行日。
今日は75分と45分の2回公式走行が行われる。
今回が久しぶりのドライブとなる僕にとっては少々物足りない。
ニコラスは富士が初めてなので、彼のサーキット習熟のために使う時間がこの走行の殆どを占めることになるだろう。
僕自身も久しぶりのレーシングマシンなので少しでも多くのラップを重ねたいところだが、レースで勝つためにはチームメートの彼が安定したラップを刻むことが重要になってくる。
このようなレースの場合、2人のドライバーのバランスが非常に重要になってくる。
誰かが我を出し過ぎると必ずどこかで歪みが生まれてくるのが耐久レースの難しさ。
今回のような場合は、僕がいかに忍耐強くこの状況と向き合えるかが大きな鍵になるだろう。

2015アジアンルマンシリーズ富士を終えて

走行時間がオープンになると同時にまずは僕が走行を開始。
1秒たりとも時間を無駄にしたくない。
マシンの動作確認のためコースをゆっくりと1周しピットに戻る。
ピットでは組み上がったばかりのマシンに不具合がないかをメカニックが確認する。
ここで問題がなければ本格的な走行が始まるのだ。
僕は5周ほど連続してラップを重ねマシンの感触を確かめる。
懐かしい感覚だ。

マシンのバランスはかなりアンダーステア傾向が強く、フロントの動きが鈍い。
ただその他には大きな問題もなく、マシンに少しのアジャストを加えてここからチームメートが連続ラップを開始する。
彼には少しでも多くの周回をこなしてもらうことが重要だ。
ラップライムの上がり方を見ていると、思っていた以上に安定していてステディな走りだ。
彼の性格がそのまま走りに現れている。
彼の本業はアセットマネージメントだとのこと。
自らの仕事で成功し、そして自らの好きなモータースポーツをもう30年近く続けている。
これは本当に凄いことだと思う。
ヨーロッパにはこういった類のワイルドでスマートなチャレンジャーが結構多い。
これはやはり気質なのだろうか。
僕から見ていても格好いいおじさんだ。そういう僕ももうおじさんの仲間なのだが。(苦笑)

午後に行われる2回目のセッションまでには少し時間がある。
ここでエンジニアとミーティングを重ねセットアップの方向性を探る。

2015アジアンルマンシリーズ富士を終えて

今回このアジアンルマンで使用されているタイヤは、普段LMP2クラスで使われているタイヤとは異なり、非常にコンパウンドの固いグリップ力の低いタイヤだ。
僕にとっても今回初めて使うタイヤなのだが、それまでのこのマシンでの走行では経験したことがないフィーリングだ。
全体的なグリップ力(タイヤが路面を捉える力)が弱く、非常に滑り易い。
特にフロントの動きが緩慢でブレーキングもセンシティブ。

これらの問題を解決すべくミーティングを重ねるが、走行時間が限られているため、セットアップ変更に関しては大きな冒険が出来ない。
大きくセットアップを変更してそれが正しい方向に向かえば良いのだが、それが外れた場合、このセッションを無駄に過ごさなければならなくなってしまう。
これは特にチームメートのニコラスにとっては致命傷にもなりかねない。

今回のようなぶっつけ本番のレースの場合は常に時間との勝負だ。
時間との戦いはコース上だけではなくマシンを降りてからも続いているのだ。
実は、いかに早く正確にパズルを組み立てていけるかが、外から見えない部分での本当の戦いであり、それを可能にするのが強い組織力を持ったチームということになるだろう。
もちろんそのためには優れたコミュニケーション能力が必要とされる。

コース上でドライバーが出来ることは実のところそれ程多くはない。
少し乱暴な言い方だが、ピットからマシンが離れた瞬間にかなりの高い確率で勝敗が決まっている場合もあるのだ。
それだけ準備と戦略が重大だということになる。

これは物を使うスポーツの宿命であり、そしてこれがこのスポーツの最大の面白さであり難しさでもある。
実に奥の深いスポーツだと思う。

2015アジアンルマンシリーズ富士を終えて

この2回目の45分のセッションは、決勝を考えてほとんどの時間をチームメートが走行することになった。
僕はセッションの残り10分くらいだけを走る予定だ。
順調にコースを習熟してラップタイムが向上したチームメートに代わって、僕がマシンに乗り込む。

ところが走行を開始してすぐにギヤシフトに問題を抱えていることが発覚。
すぐにピットに戻り原因を探る。
なかなか原因が見つからず時間だけが過ぎていく。
最終的に電気系の問題が疑われたため、ステアリングを交換してコースに戻ることに。
これによりシフトの問題は解決されたのだが、僕は結局3周しか周回を重ねることが出来なかった。
もっと周回を重ねたかったが、それでもマシンの状況を把握することが出来たので一歩前進だ。
何よりもチームメートが多くの周回を重ねられたことはポジティブなニュースだ。

走行後に再びエンジニアとのミーティングを重ねる。
方向性は見えているのだが、明日はもう予選と決勝なので思い切ったセットアップの変更は出来ない・・・。
こういう限られた時間での戦いには決断力も重要な要素になってくる。

この日は思ったより早めにサーキットを後にすることが出来た。
少しホテルで休息をとれそうだ。
ここまで来るには膨大な時間と労力が必要だったのだが、レースウィークが始まってしまうと本当にあっという間に時間が過ぎていってしまう。
どれだけ手間隙かけて美味しい料理を作っても、食べている時間はごくごく短いということに少し似ているかもしれない。
でもそれが最高の味であれば、長い間記憶のなかに残り、決して消えることはないだろう。
僕はそんな時間を大切にしたいと思っている。

迎えた予選・決勝日。
水曜日にサーキット入りして以来、ずっと快晴だった富士スピードウェイだったが、この日はうって変わって朝から曇天だ。
毎日綺麗に見えていた富士山もその姿を隠してしまっている。

今回も僕を応援してくださっている沢山の友人知人がサーキットまで足を運んでくださる予定だ。
そんな皆のためにも雨が降らなければいいなと思いながら空を見上げてみる。

この日は朝一番からいきなりの予選だ。
今回LMP2クラスには2台しか参戦していないのだが、このもう一台のライバルチーム「ユーラシアモータースポーツ」のマシンに乗り込むドライバーは、今年ヨーロッパルマンシリーズを全レース戦い、そこで鋭い速さを見せているフランス人だ。

彼が優勝請負人としてライバルチームからこのレースへの参戦が決定したのはレースの1週間前だった。
我らレースパフォーマンスがドライバーに僕を起用することを知って、ライバルチームであるユーラシアモータースポーツが、急遽メンバーを追加してまで送り込んできた刺客だ。
決勝では経験豊富で、且つスピードのある彼との接戦になるのは間違いない。
昨日からマシンにトラブルを抱えているようではあるが、ちゃんとトラブルなく走り出せば確実に速さを見せてくるのは分かっている。

予選ではドライバーを3人抱えるライバルチームがタイムアタックよりもそれぞれのドライバーのマシンとサーキットの習熟に時間を充てていたため、我々にとっては優位な展開でポールポジションを獲得する事が出来た。
幸先の良いスタートだ。

ただ、この時点で僕の中では、マシンのバランスが想像しているレベルにまでは達していなかった。
ライバルチームとの戦いに備え、決勝までに何らかのセットアップの変更が必要になってくるだろう。

今回のレースに勝つことは僕にとって絶対条件であったのだが、やはり自身のドライバーとしての実力の指標になるのは、今回ライバルチームへ絶対勝利のためにフランスから招聘されてきた前述のドライバー、トリスタン・ゴメンディだ。

決勝を前にしてまだマシンセットに不安な部分があるのだが、まだそれを解決する為の決定的な策が見つかっていない。
それでもスタートまでの数時間の間に再びミーティングを重ね方向性を決めることが出来た。

あとはもうやるしかない。

2015アジアンルマンシリーズ富士を終えて

天気予報は、決勝スタートの時間帯に小雨が降る可能性があるということを伝えている。
僕は雨の走行をそれほど苦手とはしていないのでどうにか対処出来そうなのだが、どうやらチームメートは雨が苦手らしい。
しかも初めての富士だ。
スタート時刻を目前に深く垂れ込めた雲を見上げながら、雨が来ないことを再び祈ってみる。
太陽が出ていないこともありスタート時刻の15時前にはかなり気温も下がり始めていた。

金曜日の公式走行当日の朝に急遽レギュレーションが変更され、このレースウィークはタイヤを温めるために使うタイヤウォーマーを使うことが出来ないと発表された。
タイヤウォーマーを使わないのは何年振りだろうか?
もう10年以上にはなるかもしれない。
レースウィークに入ってからいきなりレギュレーションを変更してしまうところからも、アジアンルマンシリーズがまだ新しく発展途中であることが垣間見られる。

まぁ新しい挑戦では色々なことが起こるし、それはごく普通のことだ。
こんな状況の場合、不満を述べるよりさっさと受け入れてしまった方が強い。
それにしてもタイヤウォーマー無しの冷たく冷えたタイヤでの1周目は、それは滑ること滑ること。
まるで氷上を走っているかのようだ・・・。

時計の針が15時をさし、いよいよ決勝レースがスタートだ。
スタートは予選でポールポジションを獲った僕が担当する。

2015アジアンルマンシリーズ富士を終えて

依然として厚い雲が空を覆ってはいるが、なんとか雨粒は今のところ落ちてはいない。
路面はドライのままだ。
フォーメーションラップを終え、1コーナーに向けマシンを加速させる。

2015アジアンルマンシリーズ富士を終えて

ほぼ横並びになりながらもトップで1コーナーに突入したのだが、ここで練習時から抱えていたブレーキング時のウィークポイントが表に出てしまう。
練習時からずっとブレーキング時にフロントタイヤが簡単にロックしてしまう問題を抱えていたのだ。
予めこの状況に対応するべく、スタート前のフォーメーションラップでブレーキバランスをリヤに2%変更させている。
それでも若干ブレーキがロックするのを避けられず、1コーナーで僅かにコースを外れた隙に2番手スタートのトリスタンが前に出る。
僕にとって最悪のスタートになってしまったがここで集中力を乱すことだけは避けなければならない。

3周程でタイヤ温度とタイヤの内圧は正しい数値をさしてくる。
チームからは無線で内圧の状況を伝えてくれている。
テレメトリーのデータがピットにあるコンピューターにライブで飛んでいるので、チームのエンジニアは走行中のあらゆるデータを解析することが出来るのだ。
タイヤが温まると大体のペースが見えてくる。

前を走るトリスタンのペースは思いのほか速い。
特にストレートスピード、そしてサーキットの後半部分にあたるセクター3でのペースは圧倒的だった。
何とかテールに食らいつくべく全力でプッシュを続けるが、なかなかテールトゥノーズまで持ち込むことが出来ない。

今回我々は同じORECAというフランスのシャーシコンストラクターのマシンを使っているが、エンジンは我々がJUDD、そしてライバルであるユーラシアモータースポーツはNISSANエンジンを使っている。

エンジンの特性の差なのか、我々のマシンはセクター3がかなり苦しい傾向にある。
僕自身ルマンなどでNISSANエンジンを使っていたため、低速域に強い排気量の大きいNISSANエンジンが峠道のようなセクター3で強さを発揮することは充分分かっている。
特にガソリンの搭載量が多いレースの前半は、我々にとって更に厳しい展開になる。
一方JUDDエンジンは高速域で強さを発揮するため、ストレート区間でのタイム短縮が見込まれる。
ところが今回我々のマシンはダウンウォースを少し多めに付けていた為、思いのほかストレートスピードが伸びない。

この両者のマシンセットの差は決勝をスタートしてみて初めて分かったことなのだが、ドライバーにとっては実に歯がゆい展開だ。
あとは高速コーナーとブレーキングでタイムを削り取っていくしかない。

2015アジアンルマンシリーズ富士を終えて

ブレーキングでの問題を抱えている中で、毎周予選のようにぎりぎりまでブレーキングのタイミングを遅らせて攻め続けるのは思いのほか難しい。
それでも全神経を集中させてのドライビングを続け、トリスタンとの差を少しずつ削り取っていく。
そんな最中どこかでアクシデントが起きたのかセーフティカーが入ることに。
これで僅かにあった2台のマシンの間隔がなくなった為、戦いはふりだしに戻る。

再スタート後は、僕とトリスタンが次々とファステストラップを更新しながら、まるで予選アタックかのような限界での走行を続ける。
実際、この時の2人のラップタイムは予選時のタイムを上回るものだった。
これは決勝レースでは実に珍しいことである。

非常に緊迫した走行が続く中、残り10周を切った頃だっただろうか。
トリスタンを追い込みつつあったこのタイミングで不安を抱えていたブレーキに問題が発生してしまう。
ギリギリまで我慢を重ねていたブレーキングでフロントタイヤがロックしてしまい、白煙が上がるのが見える。
どうにかマシンをコース上に留めるべくブレーキを最後までコントロールしてみるが、最後の最後にリヤエンドが持ち堪えることが出来ず痛恨のハーフスピンを起こしてしまう。
このフロントの問題に対処するべくレース前半からブレーキバランスを少し後ろ寄りにしていたため、もともと抱えているフロントの問題に加え同時にリヤのスタビリティにも問題を抱えていたのだ。

幸いにもエンジンを止めることなくすぐさまスピンターンで体制を建て直し、そのまま戦列に復帰する。
それでもこのミスで前を走るトリスタンとは10秒くらいのギャップが出来てしまった。
攻めに攻めた結果ではあるがやはりこれは自身のミスだ。
首位を取り戻すべく追い詰めていたところだっただけに自分自身への怒りは想像を絶するものだった。
これでここまで続いていたトリスタンとの目に見えない精神戦はここで一時休戦となる。
流れは確実にこちら側にあったのに・・・。

2年ぶりになるLMP2マシンでの戦い、昨年のGTでのルマン24参戦以来のレーシングマシンでのドライブとはいえミスは許されない。
ここからは次にステアリングを託すチームメートのために、開いてしまった差を少しでも取り戻すことに集中する。

残り8周くらいになった頃だろうか。
戦列に復帰してから僕は全ラップをライバルであるトリスタンのタイムを上回りながらベストラップを更新し、再びその差を削り取っていっていた。
そしてついにこの決勝レース全体でのファステストラップを獲得!
こうして僕に与えられた全てのステイント走りを終えたときには、その差を再び4秒弱のところまで取り戻していた。

ちなみにここで僕が記録したファステストラップは、自らの予選タイムより1秒も速いものだった。
これは決勝を前に施したセットアップの変更が正しい方向へと向かったことを意味すると同時に、これほどまでに最高の集中力でマシンを操ることが出来たことが、ドライバーとしての僕のモチベーションを更に高いところへと押し上げてくれた。

2015アジアンルマンシリーズ富士を終えて

レースの残り時間は1時間弱。
ここでチームメートのニコラスにステアリングを託す。

僕はしばらくの間、彼の走りをピットレーンで見守っていた。
ラップタイムは安定していて不安は感じられない。
ライバルチームの2人目のドライバーはあまりこのマシンでの経験がないのか、ペースが上がらないようだ。
あっという間にトップとの間隔が近づいてくる。

そしてその勢いのままにニコラスが見事なオーバーテーク!

カーナンバー8のマシンがトップに返り咲いた!

2015アジアンルマンシリーズ富士を終えて

ペースは明らかにライバルよりも優れており、その差は見る見る広がっていく。
あとは確実にミスなく走りきってくれることを祈るだけ。
僕の記録していたラップタイムに比べるとチームメートのラップタイムは約2秒遅いものではあるが、彼のこのタイムもジェントルマンドライバーとしては決して悪くはない。

順調にラップを重ねるチームメートに対してペースの上がらないライバルのマシン。
そしてレース後半に差し掛かかったところでライバルのマシンがスロー走行との情報。
場内放送がはっきりと聞き取れなかったのだが、パンクか何かだろうか。
マシンは大きく遅れることになり、完全にトップ争いから脱落。
レースは本当に何が起きるか最後までわからないものなのだ・・・。

ここでほぼ勝負はあった。
ここからはチェッカーまでマシントラブルが起きないことを願うだけだ。
時計が午後17時を指したところで、安定した走行を続けてきたチームメートのニコラスがトップでチェッカーを受ける。

2015アジアンルマンシリーズ富士を終えて

今回絶対に手に入れなければならなかった結果を、僕達は遂に手に入れることが出来た。
優勝だ!!!

2015アジアンルマンシリーズ富士を終えて

今回の僕のタスクは、優勝という結果を残すこと、そして併催となったWECのチームも含めたヨーロッパのチームの目の前で、速さを見せることだった。

これが出来るか出来ないでは、来季のルマン24での交渉においての状況が大きく変わってくる。
レース中のファステストラップを最大のライバルであったトリスタンを破り獲得したことは、僕の中での大きな自信にもなっている。
2年振りのレーシングマシンのドライブでどこまで戦えるのかは僕にとって未知との戦いだった。

速く走れなくなったときは・・・それは僕がレースを離れる時だ。

今回僕がどうしてもWECのサポートレースになっているこのアジアンルマンに参戦しなければならなかったのは、そんな来年に向けたストラテジーでもあったからなのだ。
チーム、チームメートが共に素晴らしい仕事をしてくれたお陰で、僕も最高の集中力でドライビングを楽しむことが出来た今回のレース。
ここ数年の僕はとにかくドライビングを楽しむことを意識するようにしている。
結果としての楽しいではなく、自らの意思で楽しむのだ。
これは自らにとって大きな変化であり、転機となっているように思う。

これで僕にとってもアジアンルマンは、2009年のLMP1クラス、2013年のGTEクラス、そして今回のLMP2クラスと、全クラスでの優勝を獲得する事となり、非常に意義深いものとなった。

2015アジアンルマンシリーズ富士を終えて

ここからはまた長く厳しい道のりが待っているだろう。
だがあくまで僕は自らのスタイルを貫くことを忘れず、ドライバーとしての最後の目標の実現に向けて一歩ずつ前に進んで行ければと思っている。

***

今回このアジアンルマン参戦にあたりお力添えを頂きました全ての皆さんに、この場を借りまして心より御礼を申し上げます。

そしてこの勝利を、今年5月に天に召された僕のレース界において唯一人の師匠である松本恵二さんに捧げたいと思います。

今回僕がドライブしたレースパフォーマンスのカーナンバーは偶然にも8だった。

2015アジアンルマンシリーズ富士を終えて

これは恵二さんが現役時代ずっと付けて走っていた恵二さんが大好きだったナンバー。
そして僕がF1へと旅立つ前の恵二さんと共に戦った日本での最後の2年間、恵二さんの後を引き継がせて頂き僕が使っていた思い出深いカーナンバーでもある。

2015アジアンルマンシリーズ富士を終えて

セレンディピティ・・・。僕の大好きな言葉だ。
目を閉じると、あの恵二さんの優しい笑顔が浮かんでくる・・・。

深謝

2015.10 中野信治

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